猫が吠える

我輩は猫である。名前はみずき。

2023 年をふりかえる

今年は興味の対象がシステムから人間にうつってきた一年だった。
(IT)エンジニアとしてシステムをつくることより、人間ひとりひとりを見ることに重きを置きたい気持になった。

自分が一度働けなくなり、またそうならないように意識しながら働いていること、子どもを育て生活しながら働いていること、子どもたちが生きている様子を日々みていること、仕事上でさまざまなコミュニケーションをとること、などを通して、人がそれぞれにやりたことをやりたいやりかたでやれるように、たのしくいられるように、たのしくはなくてもできるだけしんどくないように、できるだけ心地よくいられるように、そしてなにより健康でいられるようになったらいいし、そのようになるようなにか手伝えることがあるといいなと思うようになった。

手伝いをできるようになりたいなという気持でチーム内でピア 1 on 1 をやったり、親会社の組織内で DE & I を広めるワーキンググループで活動したり、してみている。

チーム内、それなりに長く一緒に仕事してるメンバーが多くて居心地のよさというか話しやすさみたいなのがあり、それはとてもよいことと思っているのだけど、もうすこし違う人とも話をしたい。社内の他チームメンバーや社外の人と会話することをしてみたい。

人と話すにあたって自分が健康であることは前提であると思うので、いままで興味なかったけど運動とかそろそろしなきゃな。子どもたちに体力追い抜かれつつある自覚もあるのでもうすこし動けるように対策をとりたい。

ピアノは 2023 年も引き続き楽しんだ。バイエルとブルグミュラーを卒業し、初級向け名曲集をはじめ、2024 年はソナチネに入る。たのしみだ。

2024 年も引き続き、ピアノも子どもたちと向き合うことも仕事も生活も適度にたのしみたい。

RSGT2023に参加した

Regional Scrum Gathering℠ Tokyo 2023に参加しました。
大雪警報が出て電車も国道も止まっていた小樽からギリギリ飛行機で脱出し、現地参加しました。
今回は夫と子どもたちも一緒に飛行機で東京に飛び、夫の実家に遊びにいきました。RSGT参加のために協力してくれた夫・義母・子どもたちありがとう。

以下いくつかのカテゴリに分けて感想を書きます。

人と話せない問題

Day 0、知り合いを増やしてRSGTへのドキドキをワクワクにする会に参加しました。用事があり途中抜けしてしまいましたが自己紹介させてもらい、質問をしていただき、現地で会いましょうとお約束できました。「目印ありますか」と聞いてもらえたおかげでアイコン印刷ソリューションが生まれました。アイコン印刷は他の方からも提案されていて、「リアルでは初めまして」をやるためにとても有効な助けになりました。
そんなワクワクのDay 0を経たDay 1、だれにも話しかける勇気なく、夜もだれとも飲みに行かず退散しました。
理由はいくつか。
1. 前日、東京に住む妹と久しぶりに飲みに行き、お店で知り合った初対面の方たちともたのしくおしゃべりし、飲みすぎて体力が足りなかった。体力がないと気力も湧かないもので、人と話すの苦手な人間にはその状態でだれかに話しかける勇気を出すことができなかった。
2. コミュニティで会話する場が久しぶりだった。去年は育休中でRSGTにも参加せず、コミュニティ活動にもあまり参加していませんでした。そうすると、どうやって話しかけたらいいのか、すっかり忘れてしまっていました。
3. 話しかけても、話を続けられる自信がなかった。「わー○○さん!ツイッターではどうも!リアルでは初めまして!」のあと、会話を続けられるイメージが湧きませんでした。そうすると話しかけるのも尻込みしてしまいます。

1, 2の理由は対処のしようがあるのですが、3についてはいったいどうしたものか、と、RSGTが終わってからも考えてしまいました。
話を続けられないのはなぜか?
それは、相手の関心事・相手との共通の関心事について私が語れないからかも。
RSGTという場でいえば関心事はスクラムとかアジャイルの話題がまずあるでしょう。それらの話題について、私はそんなに語れることがないことに気付きました。
なんで語れないのか。
それは行動していないから。スクラムを実践していない。関連書籍で紹介されるプラクティスを実践していない。自分で手を動かして試行錯誤していれば、語れることが蓄積されていくはず。みんなと廊下でおしゃべりするために、もっと手を動かそう、行動しよう、と思った。

社内に閉じてた

とは言っても、行動しているつもりの2022年でした。
でもRSGT来てみたら、私なんかぜんぜんだな、みんなすごいな、私が語れることなんかないな、と思ってしまいました。
なんでだろう。
たぶん、活動が社内に閉じていた。スクラムとかアジャイルとかわりと遠い世界の社内では、頑張ってチームを良くしようとしたり、社外発信するしくみを作ろうとしたり、していたと思う。
でもみんな、会社でそれぞれに戦いながら、コミュニティ活動も活発にやってる。発信してる。私けっこう頑張ってるってちょっと満足しかけてたかもしれない、あぶない。
そういえば去年RSGTに参加してなかった!だからこうやってみんなが頑張ってる空気に触れてなかったんだなー。年始に元気もらうの大事だな!毎年参加することに意義のある会だな!と思いました。

私なんか問題

上でも「私が語れることなんかない」とか書きました。プロポーザル出そう!の呼びかけがあちこちであったり、ラジオのゲストに!とお誘いいただいたりしたけど、私なんかが話せることない……と思ってしまう問題を抱えています。
私が話せることなんて他の誰かも試してみてわかっていることだ、だれかになにかを持ち帰ってもらえるほどおもしろい話できない、と思ってしまいます。
どうやったら発信できるだろう。
もっといっぱい考えて自分の言葉で表現できるようになれば、発信しようと思える。
そのためにはやっぱりもっといっぱい行動することだ。実際に行動して得た結果が自分の身になる。言葉にできる。

女性として、女性エンジニアとして

話は変わりますが、私は、ただエンジニアとして活動していたい。女性であることを意識したくない、と日々思っています。でもその意識が今回すこし変わりました。
Lyssaのキーノートへの質問「レイオフされたのが女性ふくむマイノリティが多かったというニュースがあった、それをどう受け取ればよいのだろう、それを受けて私たちはどう行動したらよいのか」とその答え「しんどいけどやるしかない。仲間をみつけて変化を起こすよう行動するしかない」を聞いて、女性(をふくむマイノリティ)が、マジョリティと本当におなじように活動できるようにするために私も行動していかなきゃな、していきたいな、とすこし思いました。
この質疑応答があったからリーダーの新常識ー80人の米国女性リーダー大調査!ー今のリーダーのペルソナと、女性社員40%超を実現し続ける組織の20年の改善を聞きに行きました。
OSTで女性の働きづらさというテーマが上がっていました。気になりつつ他のセッションに行ってしまったんだけど、どんな話がされていたんだろう。
これらを通して思ったこと。
私はただエンジニアとして活動していきたいから女性であることをことさらアピールする必要はない、女性であること以外にもしんどいことはあるし、と思っていたけど、まだまだエンジニア、とくにリーダー層となると女性はマイノリティであるので、そういう自分が"ふつうに"エンジニアとして活動していることをもっと発信してもいいのかもしれない、そうすることでこれから活躍する女性エンジニアが女性であることを本当に意識せず活躍できるようになるのかもしれない、と、ようやく思えつつある。「女性であること以外にもしんどいこと」についてもふくめ、もうすこし自己開示しながら発信する、発信できるような活動をすることを、やっていこうかなと思いました。

変化を起こそうとすること

2022年、社内では変化を起こそうと頑張ったような気がしています。
話が伝わらなくてしんどいなと思うこともあります。
そういうとき、伝えられないのは私にまだ足りないことがあるからだ、しんどいとか言ってないでもっと頑張ろう、って思っていました。人も組織も変わるというのはとてもむずかしいこと、むずかしいのをわかった上でそれを促そうとしてるんだからしんどいとか言わない、って思ってた。けど、Lyssaのキーノート、クロージングキーノートへのつなぎの川口さんのトーク、岩瀬さんのクロージングキーノート、そのほかにもみなさんの発言を聞いて、あ、みんなしんどいんだ、しんどいって思ってていいんだ、って思いました。みんなしんどいのはしんどいと受け止めて、それから頑張ってるんだな。しんどいを無視するんじゃなくて、自分の感情を受け入れてから行動しようー、と思いました。

もっと行動しよう、行動した結果を発信しよう、と思ったRSGTだった

会期中は上記のようなことをモヤモヤと考えていてなかなか消化・言語化できませんでした。
家に帰ってきて落ち着いて考えて、行動し発信していこうという方針に落ち着いたので、ブログを書く前に、ふりかえりカンファレンス2023プロポーザルを出しました。
来年のRSGTではたくさんの人に話しかけて、語り合えるように、行動し発信する2023年にします。

2022年をふりかえる

時系列ふりかえり

1月

たぶんこのころピアノをはじめた
家作りの打ち合わせをしていた
コロナでときどき保育園が休園になっていたが育休中でたすかった

2月

娘が6歳になった
家作り打ち合わせ完了
第二種電気工事士になった

3月

家の大工工事がはじまってしょっちゅう見学に行っていた

4月

娘が小学校に入学
マイホーム完成間近

5月

育休から復帰
マイホーム完成、引渡し・引越にむけて忙しかった
車を買い換えた
月末、マイホームへ引越

6月

家を整えるのに一生懸命
復帰後初出張
復帰後初メンテ

7月

次男が1歳になった

8月

34歳になった
ひさしぶりのRISING SUN ROCK FESTIVAL
家族全員でコロナに感染した

9月

娘がバレエ習いはじめた。はじめての習い事対応
長男が4歳になった
SUUMOの撮影が来た

10月

長女と長男の七五三をやった
独習バイエルを始めた

11月

娘がピアノ習いはじめる
便乗して私もピアノ習いはじめる

12月

仕事たくさんした
Syrup16g遠征で横浜に行った
ピアノが楽しい
アップライトピアノを買った
アコースティックギターも買った

まとめ

ピアノが楽しい1年だった。私は音楽をやることはできない、聴くだけだと残念に思いつつもそういうものだと受け容れていたのに楽器を弾くことをこんなに楽しいと思う日がくるなんて。去年のクリスマスに娘とバレエくるみ割り人形を観に行き、それに娘がすっかりハマっていたので夫がくるみ割り人形のピアノ譜を買った。夫はもともとピアノ弾くひとなので。娘がこんなに好きなものを私も一緒にやれたらたのしいなとおもって行進曲を練習しはじめた。真ん中のドから1オクターブぐらいしか読めないので「ド、レ、ミ、ファ、」とかぞえながら楽譜読んで。一通りゆっくりゆっくり弾けるようになり、これは基礎からやらないと弾けるようにならないのだなと気付いて、もうちょっと簡単そうな曲を弾こうとしたりしつつ結局10月から独習バイエルをやりはじめた。独習で進んでいけてこれはこれでとても楽しかった。娘がピアノ習いたいと言いだしたのをきっかけに私も一緒に習いはじめた。一人でもバイエル進められてるし習わなくてもいいかなとも思っていたけど、習いはじめてみたら、正確に弾く以外の、力を抜くこととか、左右のバランスとか、きれいに弾くこと・表現することについて教えてもらえた。一人で弾いているときよりさらにずっと楽しくなった。うちに以前からある電子ピアノで練習して先生のところのグランドピアノを弾くと弾き心地が違いすぎることに気付いてしまった。電子では出せない音がある。アップライトが欲しくなり、ピアノやさん見に行き、すぐ買ってしまった。年明けに来る。来年ももっとピアノ弾くぞ。
それから仕事納めたその日からアニメぼっち・ざ・ろっくを一気観して、勢いでアコースティックギターを買った。これも年明けに来る。大学時代にエレキギターに挑戦したことはあり、そのときはコードというものがよくわからず楽しめなくてやめてしまった。ピアノで耳が和音に慣れたいまなら楽しめるんじゃないかと、またやりたいなと思っていた。ぼっちちゃんと喜多ちゃんに背中を押されて買ってしまった。ギターも弾くぞ。

ライフイベントもいろいろあった一年だった。娘が小学校に上がり、マイホームを建て、0歳児ふくむ3人の子を連れて引っ越し、育休から復帰し、仕事を頑張った。マイホームハイで電気工事士の資格も取ったな。家、引越にともなう家具など、車、ピアノ、ギターなど、たくさん散財してたのしい1年だった。
きっと一生でいちばん支出した年になることでしょう。一生で何番めかに忙しい年にもなったんじゃないかなあ。

来年

来年もたくさん楽器を弾くぞ。仕事もがんばるぞ。最高に心地良いマイホーム、来年は2年めに突入するので流れや型をつくっていきたい。小学生がいる生活にも慣れてきた、赤ちゃんがいる生活がもうほぼ終わってしまっている、子どもたち3人で社会を作っている様子がある、ここからは落ち着いていくフェーズかなと思う。

運用の醍醐味を味わいながら産休に入った

 クリスマスイヴの夜、みなさんいかがお過ごしでしょうか。私はサンタ業を無事に終え、子どもたちがサンタさんのために作って置いていたクッキーを、サンタとしておいしくいただきました。

 この記事は、所属会社BBSakura Networksのアドベントカレンダー24日目の記事です。インドネシア時間では間に合ってる。
adventar.org

 今年の5月に産休育休から復帰したので、産休育休前後のはなしを書きます。

自己紹介

 BBSakura Networksでモバイルコアの開発・運用をしているソフトウェアエンジニアです。最近は、ずっと苦手意識を持っている、ネットワークを勉強中です。
 3児の母です。6歳(小1)長女、4歳長男、1歳次男がいます。この記事では現在1歳の次男出産時の産休育休のはなしをします。
 ふだん長女は学校と学童保育、長男次男は保育園に通っていて、私と夫はフルタイムで働いています。
 夫もBBSakura Networksで働いています。同僚です。

 上2人の出産のタイミングは、働いていなかったり、個人事業主だったりしたため、産休・育休という制度を利用するのは今回が初めてでした。
 今回は最後の出産のつもりだったこともあり、夫も一緒に育休を取りました。夫の育休取得記録は8ヵ月間育児休業を取ってどうだったか | higeblogをご覧ください。

運用チームリーダーから産休へ

 産休に入る前、モバイル通信サービスの運用チームのリーダーをしていました。
 妊娠中にデータベース移行プロジェクトを遂行しました。移行準備のために子どもを寝かしつけたあと遅くまでコードを書いたり、夜間メンテをしたり、仕事に熱中する妊娠生活でした。
 サービス立ち上げ時から関わっていたメンバーは、社内異動でこのプロダクトの運用からだんだんと離れていっていました。私が抜けたあとは、運用開始後にジョインしたメンバーのみに託すことになっていました。
 ふだんからつねに状況・情報は共有し一緒に動いていたメンバーだったのでそれほど心配もなかったのですが、それでも私の脳内のみに存在する情報やノウハウはまだあったので、できるかぎり文書化したり、メンテナンス作業を一緒に行ったりという引き継ぎは行いました。私が抜けることで人数の不安があったので、近い業務をしているメンバーにオンコール当番に入ってもらい、オンコールで呼び出されたときに初期対応ができるよう確認項目と連絡手段をあらためて整備することもしました。チーム内外に働きかけて自身が抜けたあとも問題なく運用が回る状態を作る仕事はとても楽しかったです。
 エンジニアが産休や育休を取得するときに、育児のために会社から離れる不安を感じるという話をよく聞きます。社内に自分の存在意義がなくなってしまうのではないか、居場所がなくなるのではないか、仕事や技術についていけなくなるのではないか、という不安があるようです。
 育休から復帰後チームメイトたちとお酒を飲みながら話しているときに「運用の醍醐味は自分がいなくなったときに回っているのを見ること」という発言があり、本当にそうだなあと、そして今回私はその醍醐味を味わわせてもらいながら産休に入れたので、前述の不安もそれほど感じることがなく、幸せだったなあと思いました。

 ちなみにこのときリーダーを引き継いでくれたチームメイトが書いた記事がこちらです。どういう戦略を立てて運用に参加していったのかが言語化されていて、一緒に仕事していた(している)立場から読んでも新鮮で学びの多い記事でした。
blog.bbsakura.net

 育休から復帰したあとの働き方については子育てエンジニア Advent Calendar 2022 - Adventar1日目として書いた以下の記事をご参照ください。
n0mzk.hatenadiary.jp

子育てエンジニアにとってのBBSakura Networks

 BBSakura Networksには子育て中のエンジニアがたくさんいて、子どもの対応で残業できないことも突発休みが発生することも、あたりまえに受け容れてくれています。3児の母をしながらおもしろい仕事に挑戦できる環境をとてもありがたく感じながら働いています。
 いなくなっても回るように組織・体制・しくみを整えていく領域、得意分野を活かして突破していく領域、どちらも刺激的で楽しく働いています。子育てとモバイルコアの開発運用を両立したいエンジニアがいらっしゃったら、ぜひ一緒にお仕事しましょう。お声掛けください。

3児の母として復帰して、子育てとキャリアの両立の焦りを手放した(かもしれない)話

前書き

この記事は子育てエンジニア Advent Calendar 2022の1日目の記事です!トップバッターをいただきました!
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 だいぶ久しぶりにブログを書きます。
 書いていないあいだに第三子となる次男を出産しました。3人目にして初めての産休・育休を取得して(過去2回は働いていなかったり、フリーランスだったりしたため)10か月ほどお休みし、今年5月に復帰しました。夫もほぼ同じ期間育休を取りました。
 育休中にマイホーム計画を進め、復帰直後に家が完成し、引越しました(家を建てたブログも書きたい……)。
 いまは、小学校1年生の長女、3歳児クラス(年少)の長男、0歳児クラスの次男の母をしながらフルタイム会社員エンジニアをしています。北海道からフルリモートで働き、モバイルコアエンジニア(モバイル通信を処理するサーバ群のソフトウェア開発運用)をしています。

育児とキャリアの両立の悩み?

 さて。育児と勉強、育児とキャリアの両立、子育てエンジニアにとってはあるあるなお悩みですよね。私もむずかしいなと感じ、焦っていました。でも今回の復帰後、その焦りや悩みを手放しているかも、と感じたので、その理由を考えて記事にしてみます。

 次男を出産する前は、母親であることに軸足を置いていたいと思いつつも、仕事を頑張ってお金を稼ぐことに、より力をかけていました(ここでの「仕事」には、エンジニアとして成長するための勉強も含まれるものとして読んでください)。成果を出して、評価されて、お金を稼ぎたくて、そのために時間も力も使っていたかった。
 だけど今回の復帰後、仕事に対してそこまでのモチベーションを持てませんでした。長女が小学校に上がったので入学準備や新生活対応をしたり、新生活に馴染もうとしている娘のケアをしたり。長男は幼児組に上がって自分でやるべきことが増えたので、自分でやれるようになっていくための手助けをしたり。次男は復帰当時まだ授乳中の赤ちゃんだったので、"赤ちゃんのお世話"が必要。それに加えて引越も。以前のように仕事のことばかり考えている余裕がなくなったというのが正直なところです。
 これらの状況を冷静に観察してみたときに、いまやるべきことは、以前みたいに直近のお給料を上げるために仕事にばかり力をかけることではなく、この先この3人の子たちを育て、ローンを返しながら、長く安定して働いていられるよう、持続可能な働きかたを維持することだと気付きました。

 長女を産むより前、メンタルの不調で休職、退職し、数年間復帰できず引きこもっていた経験があります。3人の子とローンを抱えたこともあるし、そうでなくても、ふたたびそんな状況に陥ることは避けたいという思いから、持続可能な働きかたを維持することは大事にしようと決めました。それに、思うように仕事できないフラストレーションを抱えて日々過ごすよりは、「いまはこんなペースだ」と捉えているほうが心穏やかに過ごせます。そんなわけで、持続可能な働きかたを心がけながら仕事に向き合っています。

 そんな折、「家族でスクラム〜ふたりで乗り越える不安と子育て〜 - connpass」という勉強会の告知を目にしました。イベントの説明を読んで、「育児と勉強、育児とキャリアの両立のしかたに悩んでいる子育てエンジニアが多くいるんだな、私も悩んでいたな、そういえばいつの間にかそのような不安がなくなっていたな」と感じました。なんでいま不安じゃないんだろう、焦ってないんだろう、と考えてみたら、それは上記のような働きかたの変化を認識したからかもしれないと思い至りました。
 以前のような働きかたはできない。できないことを追ってもしかたがないし、無理してやっても代わりになにか失うかもしれない。それは子どもとの時間かもしれないし、将来の自分の健康かもしれない、家庭のバランスかもしれない。いまはこんなもんだとある意味あきらめて、現状を受け入れて、やれることをやる。それ以外にできることはないし、これがいまやれるベストなんだと知ったのかも。エンジニアとしてだけ見れば成長は鈍化するのかもしれないけど、私はエンジニアでしかないわけではない。
 ……と、このイベントの告知を見てから考えていたのでした。こんな考えかたでエンジニアリングに向き合ってる人もいるんだと、事例のひとつとして読んでもらえたら嬉しいです。このイベントあしたですね!私はリアルタイム参加できないので、アーカイブ視聴させていただきます(アーカイブ公開ありがとうございます!)。

 子育てエンジニアAdvent Calendar 2022、あしたは@JukoAさんです!楽しみ!およべさん、今年も企画ありがとうございます!

スクラムフェス札幌でスクラムやめた話をした - 私とスクラムの一年記 #scrumsapporo

この記事はスクラムフェス札幌アドベントカレンダーの23日目です。
adventar.org

スクラムフェス札幌に参加しました。初めての社外イベントでの登壇もしました。
www.scrumfestsapporo.org

登壇の経緯

 1年ちょっと前、2019年10月ごろにスクラムというものに出会って、11月からスクラム開発を始めた。スクラムマスターというのを名乗ってみていた。でもスクラムマスターってなにしたらいいいのかよくわからなくて、アジャイル札幌の紙粘土スクラムとか、Regional Scrum Gathering Tokyo(RSGT) 2020とかに、救いを求めて参加した。RSGTのときに、今回のスクラムフェス札幌の実行委員長でありRSGTに誘ってくれた人物でもある根本さんに、スクラムフェス札幌にプロポーザル出してよって誘ってもらった。
 当時スクラムに出会って2か月ぐらいだったのでそんな人前で話せることなんかないですよと思ったけど、プロポーザル出すというのはいまの私でもできるな、聞きたいと思ってくれる人がいたら(アクセプトされたら)しゃべろう、と考えて出すことにした。アクセプトされた。よーしフルリモートでスクラムチーム立ち上げてスクラムやってるよって話をするぞーと思っていたら、コロナ禍により開催延期。そして延期期間中に私はこのチームから抜けて、チームはスクラムをやめたし、その後チームが解散した。
 9月、11月にオンラインで開催することにしたけど話せますかと連絡もらって、とりあえず話しますって返事して、この状況で話せることを考えたけどわからなくて、困って根本さんに相談しにいった。相談内容をまとめてたら「なにもわからない」「つらい」「話せることがない」になってしまった。スピーカー降りようかなと思いながら相談しに行ったら、成功の話ばかりじゃなくてうまくいかなかった話も欲しい、共感するひともいるだろう、失敗からこそ学べるんだからぜひ話してよ、4月時点よりおもしろい話になるよ、と言ってもらった。ビールと日本酒たくさん飲んで、はい!しゃべります!がんばります!って言って帰宅した。
 うまくいかなかった経験として外で話してきてもいいだろうかとチームメンバーたちに相談したら、「ぜんぜんOK」「なにも隠すことない」って快諾してくれた。チームの歴史をふりかえりつつ、それぞれの時期にメンバーがどう思いながら開発していたのかなどインタビューした。メンバーたちには「いいかんじに発表できるように頑張ります!」とか言ってインタビューを終えたけど、そこからいったい何を伝えられるのか、よくわからないまましばらく悶々とした。開催直前になんとか資料にまとめて社内でリハーサルしてフィードバックもらった。社長とかも、なにも出しちゃだめとか言わず、いいね、頑張って、と送り出してくれた。でもなんか綺麗なストーリーにならなくてまた悶々として、発表当日にやっと言いたいことがわかった。私たちが実践してみたこと、実践してみてスクラムむずかしいって思ったことを、ひとつの経験として共有しよう、成功体験じゃない話をこういう場ですることで、だれかがじゃあ自分も試してみようかなと思うきっかけになれたり、だれかをちょっと勇気づけるようなことができたりしたら、私が人前で話をする意味があるんじゃないかな、と思った。

発表内容

speakerdeck.com

 今回のチーム、スクラム経験者もコーチもいない中、本やインターネットや社外コミュニティを頼りに手探りでスクラム開発をやってみた。チームとして開発を"じょうずに"やるために、いろいろ取り入れていった。取り入れて変化していったらスクラムじゃなくなった。スクラムじゃなくなってから開発は加速した。このチームにおいては「スクラムじゃない」状態になってから開発がちょっとじょうずになってきたので、スクラムフレームワークにのっとるよりもだいじなことがなにかあったんだろうと思った。だいじなこととは、開発者一人一人が、信念と自信をもって手を動かせることだ。信念と自信をもって手を動かせるようになるために、自分で手を動かして経験して、経験から学習していきたい、という話をした。
 良い手の動かしかた、手を動かせる環境の整えかた、失敗のコントロールのしかた、結果の計測のしかた、計測結果の活かしかたなどを明らかにして、じょうずに開発をやれる状態になるまでを再現性のある方法で表現できるようになるといいなと思うけど、それはまた今後。

登壇の感想

 発表が終わってから、何人かに、良かった、響いた、って言ってもらった。なにかを解決するような提案とか再現性のあるやりかたの紹介とかがないのに響いたって言ってもらえたのは、この話が頭の中で考えたことじゃなくて自分で経験したことだからだったのかなと思う。
 そして、話すのに勇気のいる話だったろうけどそういう話こそ聞きたい、失敗の経験を共有してくれて嬉しい、メンバーのみなさんにも良かったって伝えて、とも言ってもらった。社内で発表の動画見て、もらった感想も共有して、このチームのメンバーたちにも感想を聞いてみたら、こうして後からふりかえることでここまでやってきたんだなって自信になったとか、当時は苦しかったけどメンバー同士相談しながらなんとかやってきて、その過程について外からの感想をもらえて嬉しいとかってコメントをもらった。外で話してよかったなーと思った。うまくいかなかった話こそ聞きたいんだよっていって背中押してくれた根本さんには感謝しかない。ありがとうございます。
 島田さんの招待講演でアジャイル札幌立ち上げの話を聞いて、ああこうして先輩たちが必死に作ってきてくれた道の上にいま乗ってるんだなって、スクラムフェス札幌という場を作ってくれるひとたちがいて話ができるんだなって、すごくありがたいなと思った。

その後

 スクラムフェス札幌が終わってすこし経って、今のチーム内で、スクラムという名前では呼ばずに「イテレーション区切って小さく計画しみんなで仕事しこまめにふりかえる」ことを始めた。今回発表したチームでの反省やこの1年で得た知識によって、いまは前より「じょうずに」チームでの活動をやれてるんじゃないかなあと思う。手を動かして、経験して、計測して、学習して、再現性のあるものにしていきたい。ただなんかエモい話するだけで終わらないように、よりよいやり方を見つける旅をすすんでいきたい。

#1on1カンファレンス -「対話」を通じた「人の支援」を考える日- に参加した

1on1カンファレンス -「対話」を通じた「人の支援」を考える日- に参加しました。
www.conf.1on1meeting.org


 職場では、1on1というのはそれほど根付いていないのだけど(評価者が思い出したときにたまにやるぐらい。だれかにやろうよって言えばいつでもやれるけど、継続はしてない。)、私はこの夏あたりからリーダーとしてメンバーと1対1で面談したり、1対1でなくてもチームメンバー・社内メンバー・社外関係者と対話をしたりすることが増えてきた。「うまく対話できている」という感覚はなく、相手の意志や気持や機微をくみとれてないなあと思ったり、私の考えも伝えられてないなあと思ったりしていたところでこのカンファレンスを知り、申し込んだ。まわりの人たちと「うまく対話できる」状態に近付けるといいなあと思って。


 一日いろんなお話を聞いて気づいたのが、私は私の見ている世界だけでものごとの善し悪しを決めてかかっていたこと、それを周囲に押し付けようとしていたこと、周囲のひとたちの話をちゃんと聴けていなかったこと、それでは「うまく対話できる」状態にはなれないこと。「相手を変化させようとしても伝わらない」「まず自分がやってみてその姿を相手に見せる」「相手の話を聴く」というようなことを意識していたつもりだけどできていなかった、変化させようとばかりしてしまっている、しかも私に見えている世界だけをもとに、と気づかされた。なので、「ちゃんと相手に意識をむけて話を聴いているか」「自分や、自分のやりたいことばかりに意識が向いていないか」「自分に見えている世界だけでものごとを判断していないか」と、自分自身をつねに冷静に観察して認識する訓練をしよう、と思った。


 朝一、臨床心理士である重宗祥子先生。カウンセリングにおける対話についての講演と、主催の小澤さんをクライアント役としたカウンセリングのデモンストレーション。講演のなかで印象にのこったことを箇条書きで。

  • 自分の人生をより良くしたい・変わりたい人がカウンセリングを利用することも多々ある
  • カウンセリングは医療行為ではないので自費負担となることが多いが、それは自分で自分をささえるという意味で有意義なことでもある
  • 発される言葉だけでなくすべての感覚を動員して全身で話を聴く、自分というバイアスを理解する(離見の見)
  • こちらからアイディアを出したり押し付けたりするのではなく相手のなかにあるものを引き出すこと(これは教育というものも本来そういうものなのでは、と先生は言っていた)

 こういうお話を聞いたあとのカウンセリングデモ。”パフォーマンスが出なくて、上司に「ちょっと社内のカウンセリング行っておいで」といわれた若手社員”役の小澤さんを相手に重宗先生がカウンセリングする。講演で言われていた上記のような内容を体現していくあざやかさと、相手を安心させながらしんどさをすこしずつ言語化して問題をさがしていくやさしさにすごく感動した。
 さいご、参加者からの質問にこたえる時間で「オンラインでの対話のコツはあるか」というかんじの質問への回答のなかで「この1年で、オンラインでもできることがあるというのはよくわかってきた。オフラインで会えないからあれができないこれができないではなく、できることについてはできると発信していく必要がある」と話されていて、それがすごく嬉しかった。私はもう何年もフルリモートで個人事業主をやったり会社員をやったりしていて、それほど不自由を感じなかったし、そもそもひとと顔をあわせて話をするようなことが苦手でもあるのだけど、さいきんはリモートワークが浸透した反動のように「やっぱりオフラインじゃないとね」「オンラインでの会話やコラボレーションはやりづらい・できないよね」というようなコメントばかり聞いていて、オンラインって悪いことばかりじゃないんだけどな、と思っていたところだったので。オンライン・オフラインそれぞれ向き不向きがあるし、人によってどちらが得意かもいろいろだから、一律でどちらかが良い悪いじゃなくてそれぞれ合うものを取り入れたいよねと、1on1や対話の本筋とははなれるけど、思ったのでした。


 午後から、いろんな肩書・経歴の登壇者の方たちがそれぞれの立場・状況で1on1や対話に取り組んで得た体験や知識やノウハウなどを共有してくれた。1on1というものについて私はあまり経験もないし勉強しているわけでもなく、先人たちの得てきたものを分けてもらえるこういう場はほんとうにありがたい。以下のようなことを得た。

  • 「話を聴く」ばあい、自分ではなく相手にフォーカスすること。答えは相手のなかにある。
  • 相手の話を聞くのだけど、聞いているのは自分であり、自分がどう受け取ったのか(つまり自分自身)を理解しながら相手を理解し声をかけていく(「自分というバイアスを理解する」はなしだ)。これは、エンジニアでもあり産業カウンセラーでもある長谷川拓さんが発表のなかで”対話に参加することで自分自身を理解する”ことを体験するワークを提供してくれて、ものすごくむずかしい、ということがよく感じられた。
  • 「コミュニケーション」とは、たがいのできごと・考え・感情を交換すること(押し付けではない)
  • 話をするひとの安全(他人から心にブレーキをかけられない状態)を確保することが大事。そしてそのためには話を聞く側の安全も欠かせない。
  • うまくいかなかったことを書きだしておいてパターンを抽出すると、「馴染み」の問題ができてきて安心が醸成される


 最後は認知科学の教授である三宅芳雄先生による「わかるとは?」という講演。
 「綿1kgと鉄1kg、どちらが重いか?」、同じだ、と当然のように答えてしまうけど、それって正しい?「重い」という言葉を物理学が横取りしてしまったから同じだと思うのでは?と。ものごとをある側面から理解し理論を完成させても、それはその側面からの理解でしかなく、他の側面から見ればまた違う見えかたをするかもしれない。「わかる」ってなんだろう、ひとつの側面から見て「わかった」からって、なんなんだろう、という話だった(と、私はとらえた)。
 一日かけていろんな視点や立場からの1on1や対話についてのお話を聞いてきて、相手の話を聴くこと・自分というバイアスを知ること・そのうえで対話をすることについて考えさせられていたところで最後に「わかる」ってなに?、「わかる」ことなんてある?って話がされて、さらにいましめられた気持になった。たぶん先生は聴衆をいましめてやろうなんて思って話してはいなくて、ただご自身の世界の捉えかたのほんの一片を共有してみてくれただけなんだろうと思う、ご自身が「自分もまだわかっていないのだけど」という気持がある上で私たちに話をしてくれているのだというのが伝わってきて、「わかる」ことを追求しつづけてもまだ世界はわからないんだ、私が私から見える世界だけで話をしようとか、ましてや相手や周囲を変えようだとか、なんて傲慢なことをしてたんだ、と感じたクロージングキーノートでした。
 三宅先生のお話がおもしろかったのもあるけど、カンファレンス全体として「対話」というテーマが一貫していて、いろんなバックグラウンドや経験から対話について話してくれる方たちがいて、最後に「わかるとは?」を持ってくるこの構成、超すごい。一晩かけて咀嚼しないと理解できなかったけど、強烈に「対話」というものを考えさせられた。超よかった。