猫が吠える

我輩は猫である。名前はみずき。

2018年を振り返る

今年の重要事項

第二子を妊娠・出産した

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 この記事の通り。
 二人目欲しいなと思いながら迎えた2018年だったから、それが叶ってよかった。しんどかったけど。一人目よりつわりもしんどかったし、上の子がいると寝てばかりいるわけにもいかなかったし、お腹の張りや重さも一人目のときよりずっと頻繁に感じていたし、結局早剥からの早産だったし。
 でも息子はとてもかわいいし(第一子である娘は当然変わらずかわいい)、我が子たちが二人でやりとりしている(今は息子が赤ちゃんだから娘が一方的に働きかける状況だが)様子は、まさに「幸せ」としか形容できない。

 それから、個人事業主としてエンジニアをしていたけど出産に伴って無職になった。
 自分の稼いだお金がないというのはみじめだ。夫に生かしていただいているという状況が耐えがたい。はやく復帰してお金を稼ぎたい。

30歳になった

 第二項に挙げるほど重要でもなかったかもしれないけど、一応人生に10回もないであろう節目だから挙げておく。
 30になってもとくにメンタリティが変わることはなかった。あいかわらず好きなものは好きで嫌いなものは嫌いで、興味のないものには興味がないままである。

ライジング・サンに行った

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 この記事の通りなのだが、10年くらい行きたい行きたいと思っていた野外フェスというものにようやく行けてよかったし、それが子連れで、我が子に対して「母」ではなく私という人間として好きなものを見せることができたことが、よかったなと思う。

人生の難しさを感じた

 毒親育ちは結局毒親になってしまうのかな、と思う。これについては文章に書けるほど自分の中で整理できていないので、ちゃんと考えて整理できたら文章にしたい。
 夫との関係が困難で家出したりもした。

エンジニアとして

 仕事で作っていたものが2月にリリースされた。人に使われている。遅ればせながらの初体験。しかも、ユーザ認証なんていう大事なところを担っている。
 それから特許提案書を書いたりもした。出願されて名前が出てほしい。
 24 commits, 8352 lines (+5419, -2933)だった。

来年に向けて

お金を稼ぎたい

 なにかあっても一人で生きていけるくらいは稼いでいけないと、生活も精神も不安だなあ。とにかくお金は大事だ。

自分について理解・整理し、解毒したい

 毒親になりたくない。毒妻になってもいけない。辛いことを排除したい。無駄に苦しんでいるんだとしたらそれをやめたい。健康になりたい。

RADWIMPSの『ANTI ANTI GENERATION』を聴いた

 「へっくしゅん」からRADWIMPSが好きで。
 ずっと聴いていた、わけじゃなく、ウツでなにもできなかった期間はなんの音楽も聴いていなかったんだけど、でもそこから復帰してからは聴けなかった期間のCDも買って、まあ結局最初の100枚限定の『もしも』以外は持ってて聴いてる(『もしも』も友人が持っているのを借りて音源としては持っている)。
 今回も新アルバムが出ることを知って当然予約して買って、ほんとうはCDショップで予約してフラゲ日に取りに行きたいんだけど今はちょっと赤ちゃんがいたりとかしてそれは難しいからAmazonで予約して、北海道の田舎だから発売から何日か経ってから手にして、そっからまた何日か経ってからiPhoneに取り込んで、さらに何日か経って結局発売から1週間半も経ってからようやくちゃんと聴いたってわけ。
 毎回ラジオ初オンエアをMDに録音しながら聴いてそれを再生しながら発売を待って待って、フラゲ日に横浜ジョイナス新星堂で受け取って帰ってすぐに聴いて、次は歌詞カード見ながら聴いて、MDに焼いて通学中に何度も何度も聴いていたころとは違ってしまってそんなふうには聴けていないことに寂しさを覚えるけど、でも今はあのころと違う自分の人生を行きているからそれはそれで良い、とも思うのだけど。そんなことを書くためにブログの編集画面を開いたわけじゃなくて。
 前述の通りRAD(を始め、いくつかの好きなアーティスト)のCDは毎回買って(以前ほど熱心ではないにせよ)聴いていて、そのたびに、もしかして私の好みでないふうに変化してしまっていたらどうしよう、と思いながら予約・購入しているのだけど、その心配が現実になったことは一度もなくすべて杞憂に終わっている。アルバムで言えば『RADWIMPS』から、彼らの音楽性みたいなものはだいぶ変化してきていると思うけど、それがずうっと私の好きな音楽だからすごいなあって思う。同年代だからなのかもしれないけど、でも彼らの人生と私の人生は当然違っているんだけど、でもこの人たちの音楽好きだなあって、毎回思っている。高校生の初々しい恋愛に熱を上げているときも、大学生(私はよーじろーの同大学、キャンパスの後輩だよ)になって人生に苦悩しているときも、社会に出てどうやって生きていけばいいのかわからなくなったときも、子を産んですこし自分というものについて冷静になったときも、ずっと彼らの音楽を聴いて興奮したり慰められたり、(おこがましくも)共感したりしてきた。すごいことだ。改めて、好きだなあ、と思った。
 「PAPARAZZI~*この物語はフィクションです~」、よーじろーの怒りが好きだなあと思い、「正解(18FES ver.)」、私にも18歳という時代があったこと、その頃苦悩していたことを思い出して胸が締め付けられる思いがし、それから、私が18の頃は自分なり・それなりだけど、文章をちゃんと書いていたんだよなあと今さらながら思い出し、いま母になっていたりエンジニアとして仕事をしていたりする自分がいることはもちろんわかっていながらも、私はなにをしていたのだっけ、これまでどうやって生きてきて、今後どうして生きていきたいのだろう、と思わされてしまった、つまり、人生のところどころで触れてきた、創作活動というやつを私はやりたかったんだよなあと思い知らされてしまった。結局中途半端にしかできないことはようくわかっているから気付かされたくなかったのだけど。こうやってブログを書いて気持を鎮めるくらいしか、いまの私にできることはない。だけどなあ。娘の同級生のお父さんは、お父さんになってもお芝居をやって生きているらしい。私もそうやって生きてたらもしかしたら今より幸せだったかもしれない。そりゃもちろんわかんないけど。これでよかったんだっけ、って。いや今日は、RADWIMPSが好きだなってことを書きたかっただけなんだ。すぐに人生について考えてしまうから良くない。人生についてそれほど考えずに生きていける健康な人間でありたかった。いや、RADWIMPSというバンドが好きだなって。それだけです。

RISING SUN ROCK FESTIVAL 2018に参戦した話

RISING SUN RICK FESTIVAL 2018に参戦した

フェスってやつに行きたいなーと思いながら10年近く生きてきて、ようやくデビューした。子連れ・妊娠中で。
記憶が新しいうちに書こう書こうと思ってたのにもう12月。アドベントカレンダーに乗っかって今度こそ書くぞ。
adventar.org
こちらのアドベントカレンダーの7日目です。

一言で言うととても楽しかった!エゾロッカーと言われる人たちが毎年行くのがよくわかった。

概要

参加まで

 私と、夫と、2歳の娘と、私の妹の4人で参戦しようと相談していました。私たち家族は会場から車ですこしのところに住んでいて、妹は東京にいるので飛行機で来てうちに泊まって帰る予定で。
 フェスって、簡単にチケット取れるものだと思ってた。抽選に申し込んだら当たり前のように外れた。ということで大人3人各自ツイッターで譲ってもらうなどして、前々日、前日、当日になんとかチケットを手に入れ、入場できました。

子連れ参戦

 我が家にはこのとき2歳半だった娘がいます。
 夫婦ともフェスというものが初めてだったから子どもを連れて行って良いものかどうかもわからず、「フェス 子連れ」でググって情報収集して、どうやら子どもでも参加していいらしい、楽しめそうだ、ということがわかったので家族で参加することにしたのでした。
 この日のためウキウキ買ったイヤマフと耳栓は娘も気に入ってつけてくれて、ライジング後も道を歩いていてうるさいバイクが通ったときとか「うるさいから耳に付けるやつしたい」って言うようになった。2日目の途中でコールマンブースで買ったアウトドアワゴンが、荷物と子ども運搬にとても良かった。お子さんを乗せて運んでいる家族連れをたくさん見かけていいなあと思って、アマゾンで買えば安いのはわかっていたけど会場内で買ってしまった。

妊婦参戦

 私はこのとき妊娠8か月で、お腹もだいぶ大きくなって安定期も終わる頃だったので、行くかどうかだいぶ迷いました。
 でも夫も一緒だし、家も通っている産婦人科も会場から車で20分とかそれぐらいの距離だったので、もしなにかあっても大丈夫だと思って参加することにしました。お酒は飲めないし前のほうで飛び跳ねられないし、平常時よりだいぶ制限は多いけど、それでも楽しめるだろうと思って。そもそも子連れだからあまり前に行くつもりもなかったし。
 そうしたら、1日目入場してすぐ、サンステージの前を歩いていたら通っている産婦人科でお世話になっている助産師さんに会いました。テントから「○○さん!」って声を掛けられて、誰だろうと思ったら助産師さんで。妊婦がフェスなんか、って怒られるかと思ったけどそんなことはなく、気をつけてね、テントあるからお腹張ってきたら休みに来てね、と言ってもらい、その後の妊婦検診や入院中も、誰のステージを見たとか誰がどうだったとかって話ができて楽しかった。
 結果的に何事もなく、参加して良かった!!という感想しかないけど、妊婦の皆さまは体調を何より優先して参加するかどうか決めてほしい。過酷なフェスだったし。

天気

 過酷というのは、天気の話。降るかな、降らないかな、と直前の1週間ぐらい天気予報と睨めっこしていたけど、見事にライジング期間中だけ雨だった。しかも初日はだいぶ土砂降り。私たちは1日目夜は家に帰ってきたけど、激しい雷雨だったのでテント泊の人たちはほんとうに大変だっただろうと思う。
 入場ゲートからいきなりドロドロのぬかるみ。昼の時点では会場内はそれほどひどくなかったけど、夕方には土砂降りになり、あちこちが田んぼのようになり、寒くて、カッパを着てもずぶ塗れになる状態でした。我々夫婦は関東在住時代に横浜スタジアムで買ったベイスターズ雨合羽を着ていたのだけど、私たち以外にも数組ベイスターズ雨合羽を着ている人たちがいて驚きました。フェスのテンションと、北海道は石狩くんだりでベイスターズ仲間を見つけたよろこびとで話し掛けてみたら、ライジングのために横浜から来た家族連れでした。他のベイスターズ雨合羽集団にも、夫は話し掛けられたそうです。
 あれこれおいしいものが出店していたようだし寒いから温まりたかったけど、雨で食事どころではなかった。夕方に豚汁をたべたけど、半分雨水を飲んでいる気分だった。風景を写真に残しておきたかったけど、スマホなんか取り出せる天気じゃなかった。防水カメラをリュックに入れていたけど、カッパを脱いでリュックを開けられる状況でもなかった。だからあんまり写真が残っていない。車に戻って乾いたTシャツに着替えたときは、ほんとうにホッとした。着替えをジッパー袋に入れておいたの、大正解だった。先人の知恵、ありがとう。

 2日目は晴れる予報で、朝まで参加予定だったからああ良かったと思っていたら結局朝まで降ったり止んだりだった。明け方も、カッパが必要なくらいの雨が降った。地面はずっと湿っていたからレジャーシートが大活躍した。帰ってから洗うのが大変だったけど。
 そして明け方のステージが終わり、これで今年のライジングサンおしまいというところでようやく晴れた。日の出は見えなかった。帰りの車が出発した頃に、2日ぶりの晴れ間が見えた。

持ち物

 あって良かったものは、野鳥の会の長靴、コールマンのアウトドアワゴン、ベイスターズの雨合羽、懐中電灯かな。
 ワゴンとカッパについては上記の通り。
 長靴は、雨予報を知って前日くらいに急遽買った。雨のフェスに良い靴をあれこれ調べてまだ迷いながら買ったけど、結果、良かった。田んぼのような泥んこの地面も平気で歩けたし、中敷きも買ったから歩きやすかったし、だいたいの靴で靴擦れを起こす私の足で二日間履き続け数万歩あるいてもどこも痛くならなかった。
 長靴を買ったお店の店員さんも、帽子やブルゾンを買ったお店の店員さんも、ライジングですか?それならこれがいいですよ、と案内してくれて、行きたかったけどチケット取れなかったとか、明日私も行くんですよとかっていう人たちだった。ライジングはこの北海道の地に根付いた地元のお祭なんだなって感じた。
 懐中電灯は夜中足元を照らしたり荷物をゴソゴソしたりするのに便利だった。私は百均で買ったけど、いいやつだともっと明るくて良いんだろうなと思った。

私が見た各ステージの感想

8月10日 金曜日

15:00~ サンボマスター @RED STAR FIELD

 正直に言うと曲は「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」しか知らないのだけど、ツイッターでフォローしているevil氏の、ロッキンでのサンボマスターについてのツイートを見ていいなあと思って見ることにした。


 とっても良かった!楽しかった!ベストアクトだったかもしれない。
 演奏もとても良かったんだよ。唯一知っている「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」も聴けて、満足だった。妊娠中でなければ前に出てモッシュに参加したかった!エネルギーがすごかったし、2歳の娘も楽しそうに腕を上げて振っていた。だけど、それ以上にMCがすごく良かった。私の知ってるライブって、あんまりMCがなくて、あってもあいさつともう一言くらいで、ひたすら曲をやるのが多くて(主にSyrup16gですね)、だからたくさんしゃべるバンドって馴染みがなかったのだけど、サンボマスターのライブには、半分はボーカル山口氏のMCを聞きに行くものなのかもしれない。
 「死にたいとか思うかもしれないけど死ぬなよ、死ぬとか言うなよ、お前らの居場所はロックが鳴ってるこの場所だ、死にたくなったらステージを思い出せ、生きろ、笑え」、っていう話だった。シロップ好きの例に漏れず私も死にたいタイプの人間なので、だけど最近は子を産んだりとかして死んじゃいけないなって思ったりしていて、そんなところにこのMC聞いて涙を我慢できなかった。隣に夫と娘がいたから我慢したけどしきれなかった。

18:00~ ASIAN KUNG-FU GENERATION @RED STAR FIELD

 なんか、あんまり良くなかった。
 昔(君繋ファイブエムフィードバックファイルごろ)はとっても好きなバンドだったのに。初めてナマで聴けたのに。意外と知ってる曲たくさんやってくれたのに。その前に聴いたのがサンボマスターだったせいかそうじゃないのか、あんまりエネルギーを感じなくって、おとなしく演奏して見せてくれてるって感じがして、これだったらCDで聴けばじゅうぶんだなあと感じた。

2歳児も一緒なので1日目はこれで終わり。家が会場から車ですぐなので、帰って冷えた身体を風呂で温め、家で夕食をとって、泥のように眠りました。

8月11日 土曜日

12:30~ BiSH @EARTH TENT

 名前しか聞いたことなくて、でもなんかおもしろそうって思ってたので聴いた。この日は東京から妹も参戦して来て一緒に参加した。娘を抱えて後ろのほうで見ていたけど楽しかった。
 この日以降娘は「♪待って 待って 未来を待って」って口ずさむようになった。2歳児の記憶力恐るべし。

14:10~ UNISON SQUARE GARDEN @SUN STAGE

 初めてのSUN STAGE。大きい。人多い。
 ユニゾンもアルバム「JET CO.」しか知らなくて(2010年の作品らしい。8年も前!)、最近みんながカラオケで歌うような曲も知らないんだけど、セットリストで攻めてくる感じがして、みんなめちゃ上手いなあすごいなあ、楽しいなあ、と楽しめました。

 このあとは食事したりのんびりしたり。移動中にマキシマムザホルモンsumikaをチラ聞きして、ホルモン楽しそう、sumikaはよくわからないなんでこんな人気っぽいんだ、と思ったりしました。

18:50~ the pillows @EARTH TENT

 ここで夫と娘には家に帰ってもらいました。娘の睡眠優先。その次に私の趣味優先で。夫よありがとう。車に戻って荷物を整理したりビショビショの服を着替えたりして妹と二人で会場に戻ったらもうピロウズのステージが始まってしまっていました。
 途中からだったけど、ああもう最高だ。「FUNNY BUNNY」が始まって、「♪キミの夢が叶うのは 誰かのおかげじゃないぜ 風の強い日を選んで 走ってきた」、生きていくのがしんどかった高校生のころに救いを求めるように聴いていたさわおさんの声がFUNNY BUNNYが、目の前で演奏されている、聴いている、あの頃の私、生きていたから報われているよ、いま私は母になりその頃と変わらず音楽を聴いているよ、というような、もっと混沌としたどうしようもない涙が出てきた。

 それからツイッターのお友達と乾杯しておしゃべりして妹と食べ歩きながらdef garageへ移動。
 トイレに並んでいたら花火が上がった。

21:00~ POLYSICS @def garage

 アルバム1枚(KARATE HOUSE)しか知らないのだけど好きで、今回どのバンドを見たくてライジングに参戦したかと言うと半分くらいはPOLYSICSだったような気がする。
 食べ歩いたり花火を見たりしていたら着いたときにはもう始まっていてテントの隙間から覗き見るような場所しかなかった。でもそれでもとっても楽しかった。
 目の前に小さなお子さんを抱いたお母さんがいて、身体じゅうではしゃいでいた。ああPOLYSICS大好きなんだなってのがようくわかった。お子さんを抱きながら飛び跳ねていて、とっても楽しそうで、見ていて幸せな気持になった。子連れで行けるフェス、普段は親の顔しかしていない(かもしれない)親たちが子の前で好きなものを満喫できてその姿を子が見られるっていうその環境がすばらしいなって思った。

それから竹原ピストルを目指してRED STAR FIELDへ移動して、レジャーシートを敷いて虫除けして寝ながらThe Birthdayを聴くともなく聴いた。オールナイトのフェスならではの贅沢だ。

24:00~ 竹原ピストル @RED STAR FIELD

 昔ニコニコ動画の邦楽ロック作業用BGMで野狐禅の「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」を知った。それから他の曲を聴いていたわけじゃないけどなんとなく好きだなあと思っていた。タイムテーブルに名前を見付けて聴こうと思った。
 このころにはすっかり疲れてしまってもう寝ながら聴こうかなと思っていたのだけど始まってみたらとても寝ていられる演奏ではなくて起き出してようく見ながら聴いた。
 一曲一曲に対する思い入れを話しながらギター一本で歌ってくれる竹原さんに釘付けだった。すごく真っ直ぐなMC、歌、ステージだった。また聴きたいと思った。

25:40~ GRAPEVINE @EARTH TENT

 昔すこし聴いていたバイン。体力の限界で、テントの外で座って寝ながら聴いた。

 天気予報ではこの時間には晴れているはずだったのにまだ雨が降りカッパが必要だった。寒くて眠くて辛かったので温かいチャイを飲んだ。すっかり冷えて疲れてしまってもう一歩だって歩きたくない状態だったけど、ラストに向けて移動。妹はスカパラを観にSUN STAGEへ。私はBase Ball Bearを観に一人でdef garageへ。

27:40~ Base Ball Bear @def garage

 とーっても楽しかった。テントの外に荷物を置いてシートを敷いてそこでのんびり聴こうとしていたのだけど、演奏が始まったらつい誘われて中へ入って身体を揺らしてしまった。
 SUN STAGE大トリの東京スカパラダイスオーケストラはきっととっても楽しいんだろうなあと思いつつ、ロキノンオバサンとしてはベボベに行かないわけにいかなかった。こちらもアルバム「十七歳」1枚しか聴いたことがなかったのだけど。
 空が白みかけた夜明け前の「yoakemae」、他の曲も良かったけどこれですっかり虜になってしまって、2日間の思い出の総仕上げになった。目の前の演奏のすばらしさ、2日間聴いてきた音楽、大雨に降られながら楽しんだこと、深夜の眠気と疲れが合わさって最高の瞬間だ った。その後もあのステージを思い出して、「yoakemae」が収録されているアルバム「新呼吸」を買った。

まとめ

 とにかく楽しかった!ライブハウスで酒飲んで飛び跳ねる以外の音楽の楽しみかたもあるんだな、子連れの母親としても楽しめるんだな、って思った。
 来年はゼロ歳児がいるからどうなるかわからないけど、できれば毎年参加したいなあ。今度はテント泊したいなあ。バーベキューしたいなあ。
 もっと書きたいことがたくさんあったような気もするけど、アドベントカレンダーに間に合わせるために今日はここまで。

第二子を産んで1か月(常位胎盤早期剥離で早産の記録)

 9月22日に、第二子となる息子を産みました。
 今日10月23日、1か月検診で一段落ついたので振り返りを。

時系列

出産前日まで

前提
 計画無痛分娩の予定。
 一人目を38週3日で産んでいるので今回も予定日より早くなりそうなこと、お腹の子が大きいことから、赤ちゃんの大きさを見ながらだけど、正産期である37週に入ってすぐあたりに計画分娩しましょうという方針だった。
 個人事業主として仕事をもらっていたので産前6週の決まりは適用されず、36週後半まで仕事を入れていた。だから産前休暇が1週間しかないなあ、と思っていて、先生にそれを言うと、36週なら急に破水して産まれてしまったりするから調整できるならしておいたほうがよいと言われる。なので、契約は残っていたけどやるべき仕事は片付けてしまっていた。


9月18日(火) 34週4日
 妊婦検診。エコーを見ながら、もう推定体重2,700gぐらいでとてもムチムチしていると言われる。
 内診があったので、今日明日は出血があるかもと言われていた。

18日(火)~20日(木) 34週5日~35週0日
 茶色い少量の出血が続く。お腹も、うっすらとした生理痛のような、下してるときのような痛みがある。
 前回の妊娠も含めてそんな経験はなかったのですこし不安な気持になりつつも、内診による出血だろう、前駆陣痛かな、と思って過ごした。

21日(金) 35週1日
 昼ごろ、仕事中、茶色いドロッとした血が出ていた。茶色なら内診による出血の残りかなとも思いながら、すこし心配なので一応病院へ電話。やはり茶色なら古い血だから心配ないと言われ、普通に仕事をし、家事をした。産後のための作り置きとして唐揚げを揚げたり、仕事でのちょっとした発表のようなものを待機したり、取引先とのリモート会議で出産・退職のあいさつをしたりした。
 21~22時ごろ、娘を寝かしつけて一緒に寝ようと思ったが腹痛。波があるように感じたのでもしやと思って陣痛アプリをダウンロードして記録してみたら、やはり2~3分おきに波がある、と思ったら10分以上開く。眠れないので1階のリビングに降りて夫に腹痛を報告。トイレに行くと、ちょっと下し気味。その後痛みは収まったので、下す痛みか前駆陣痛だったんだなあと思って就寝。

出産日

22日(土) 35週2日
 2:30、尿意で目覚める。腹痛もあるような気がする。けど寝たいから眠ろうと試みる。でも痛みだか尿意だかわからないものに押されて眠れずトイレに行くと鮮血が出ている。それでも寝ようと思って布団に戻るが、やっぱりお腹が痛い。このときはアプリで測らなかったが2~3分おきに痛い。「妊娠後期 腹痛 出血」とかでググる。前駆陣痛だとか切迫早産だとか、常位胎盤早期剥離だとかが出てくる。うーんそんな急を要するような症状ではない、けど陣痛だったら困る、と思って階下に降りて病院へ電話。助産師さんに「35週かー困ったねえ、入院準備して来て」と言われて、痛みと戦いながら2階に上がり夫を起こす。
 やらなきゃやらなきゃと思って、入院準備してなかったんですよね。慌てて大きいボストンバッグに着替えやらなんやら詰め込んだ(持ち物リストはdropbox paperに作っていて、持って行くカバンも着替えも目星をつけていたからまだ良かった)。荷物を詰めている最中も何度か痛みが来て動けなくなった。
 3:20、寝ていた娘も車に乗せて、夫に運転してもらって病院へ向かう。
 3:40、病院着、出迎えてくれた先生に「赤ちゃん動いてる?」と聞かれる。いつも通り動いていたけど、動いているかどうか聞かれるような緊急事態なんだろうかと驚く。
 内診。子宮口4.5センチ。痛みは陣痛とのこと。1日もたせるのも難しいから、早産だけどこのまま産みましょう、35週ならギリギリここで産めます(大きい病院に搬送しなくて済む)とのこと。
 経腹エコー。胎盤ははがれてなさそう、赤ちゃんの心臓も元気に動いている、大きさも2,500gはあるかな、とのこと。心臓が動いていることに一安心しつつ、2,500か、このあいだ見た2,700はないんだな、低体重児で産んでしまうかもしれない、と思う。先生に、破水しなかったからここまでもったけど破水してたら生まれてたね、と言われる。前回もお産の進みが早かったけど、今回も早いのか。
 4:10、休み休み2階のLDRに移動して体重測定、着替え、分娩台に乗ってNST装着。一人目以来のNSTに、懐かしいなあ、と言ったら、外来でやる前に陣痛来ちゃったもんねと助産師さんに言われる。ああ確かに、ほんとは妊婦検診でやるはずだったんだ。痛みで吐き気がするが胃が空っぽで吐くものがない。
 2分間隔の陣痛。起きてから水分とってなくて、針も太くて点滴のルートがなかなか取れない。先生自ら、手の甲にブスッと刺してくれた。助産師さん「さすが~」、先生「迷わない!」という会話。太い針を抜いたり刺したりは痛かったけど、陣痛の痛みが紛れてよかった。
 4:30、無痛分娩予定だったので、背中から麻酔。麻酔を打つための麻酔を入れて、本番の麻酔を背中2箇所に入れる。子宮の痛みを取るための麻酔と、お股の痛みを取るための麻酔。お尻に鈍痛を感じてたら、先生にお尻痛い?と聞かれる。麻酔を入れると神経が圧迫されてお尻が痛むらしい。麻酔完了、内診。子宮口7.5センチ。履いたままだった靴下を先生が脱がせてくれる。すみません……。
 4:43、人工破膜。このときにはだいぶ麻酔が効いて余裕が出てきていたので、羊水見たい、って言って見せてもらった。だいぶ血の混じった羊水だった。内診。子宮口9センチ。助産師さんのグリグリで子宮口全開(10センチ)になる。グリグリはまったく痛くない。麻酔の力はすごい。陣痛の波が来ると多少の痛みを感じる。力入れてみようか、と言われて、え、もういきんでいいんですか、と聞く。お尻への圧力とかいきみたい感覚、一人目のときに感じた子宮が子を押し出そうとする感覚はなかった。娘は、出産中に飲むために持ってきたペットボトルストローに興味津々で、私のお茶を何度か奪われた。そんなやりとりをできるぐらい、痛みがなくて、余裕があった。
 4:45、陣痛の波が来たのでいきむ。言われる通りに強くいきんで、軽くいきんで、頭が出た。へその緒が首に二重巻き。へその緒切ったりなんだりしてくれて、無事誕生。男の子。ドゥルンと身体が出た瞬間、お腹がものすごく軽くラクになった。先生「早すぎ!」と。そして「2,700ぐらいありそうだね、こないだの大きかったエコーが当たってるかもね」と。助産師さん、看護師さん、小児科の先生(産婦人科の先生の奥様)が見てくれて問題なさそうなのでそのままカンガルーケア。あったかかった。ちっちゃい。このとき助産師さんが、家族4人の写真を撮ってくれた。それを退院時写真立てに入れてプレゼントしてくれたのがとても嬉しかった。4人家族での最初の写真だ。すぐに別室に連れていかれて体調の確認や身長体重測定など。2,785g, 48.0cmの男の子。先生はパッと見で体重がわかるのか、すごい。
 4:50、私は胎盤を出されて休憩。胎盤にだいぶ血のかたまりがついていて、先生に「胎盤はがれかけてたかもね、じゃないとこんな早く進まない」と言われる。え、それって常位胎盤早期剥離ということ、と動揺する。でもともかく赤ちゃんも私も無事だった。早産なので赤ちゃんになにかあったら大きい病院に搬送しますと言われていたけど、その必要もなかった。1時間ぐらいかなあ、しばらくして、赤ちゃんがまた私のところに来た。抱いて、おっぱいを吸わせる。娘は産まれてきたものを覗き込む。お母さんのお腹にいた赤ちゃんだよ、出てきたね、あなたの弟だよと伝える。
 その後、談笑しながら過ごす。
 5:30、LDRの隣の部屋に置いた私のリュックから、syrup16gの「Honolulu★Rock」が流れてくる。娘のお弁当を作るつもりでかけていた目覚ましだ。お恥ずかしい。
 産後2時間くらいで、トイレに行きましょうと言われる。怖々だったけど、ふつうにおしっこが出た。歩いてトイレに行き、歩いて戻った。病室は個室か大部屋か、和室か洋室かの希望を聞かれた。一人目のとき個室で孤独だったから大部屋を選んだ。洋室にしようと思っていたけど、洋室にはその日退院していく一人しか入院しておらず、和室には前日に出産したばかりのお母さんが入院していると聞いて和室にした。結局病室内でほとんど会話はしなかったのだけど。
 歩いて病室に移動した。普通に歩けた。一人目の産後はもっと骨盤がガタガタで、切開・縫合したお股が痛くて歩きづらかったのだけど、今回は普通に歩ける。無痛だったし、子も小さかったし、お産も速くて、お股を切開することも裂けることもなかったから身体への負担が軽かったんだなあ。赤ちゃんは新生児室かどこかにいた。
 明け方の病室で入院生活の説明とかを聞いて、眠そうな娘と夫には帰ってもらうことにした。もう空は明るかった。お腹がすいた。朝食から出るらしいから、それまで横になって休むことにした。

常位胎盤早期剥離

 その後先生から話を聞くと、やっぱり常位胎盤早期剥離だったそう。この病院では年に2~3件あるらしい。病名は知っていたし母親学級でも話は聞いていたけど、まさか自分がなるとは思ってもいなかった。早剥は「波のない強い痛み、お腹が板のように固くなる」という症状と記憶していた。私の場合は腹痛といっても波のある痛みだったし、お腹も「板状硬」というほど固くなくただ張っている程度、赤ちゃんもいつも通り動いていたから、生み終えるまで早剥だなんて思わなかった。先生は、深夜の電話の時点で早剥だったら嫌だな、と思ってたらしい。だから赤ちゃん動いてる?って聞かれたし、エコーでも胎盤見てくれていたんだな。そして、私が電話のあとなかなか来ないから、トラブルがあったんじゃないかと心配しながら待ってくれていたらしい。入院準備できていなかっただけです、深夜に起こして呼び出したのに待たせて申し訳ない……。
 病院の談話室に漫画『コウノドリ』があったから早剥の回を読んだから、胎児の死亡率30~50%、母体死亡率も数字は忘れてしまったけど高い数字で怖くなった。ネットで調べると、早剥で赤ちゃんを亡くしてしまったり脳性麻痺が残ったりしている体験談がたくさん出てくる。今回私はおそらく臍の緒から離れた箇所が、一部分だけ、ゆっくりと剥れただけだったから、そして経産婦で子宮口の開き、お産の進みが速かったから助かったけれど、なにか間違っていたら赤ちゃんも私も危なかったかもしれない。運が良くて、先生が早剥の可能性を考えて対処してくれて(切迫早産として張りをおさえたりせず出産の方針に決めてくれて)、ほんとうに助かった。


 そして、早剥は再発する病気らしい。早剥の既往がある人の次回妊娠時の早剥発症確立は、既往のない人の10倍。元々そんなに高い確率で起こる病気ではないけれど(全分娩の0.5~1%ほど)、その10倍というのはけっこうな確率だ。そしてそのうちの低くない割合の赤ちゃんが亡くなり、障害を負っている。原因がわからない病気だから、こうすれば安心だという方法もないけれど、次回があったら気をつけよう。子どもは3人欲しいと思っていたけれど、その子や自分の命を危険にさらすぐらいならもう次はなくていいんじゃないかと思ったりもする。でも、先生には軽度だったからそんなに気にするものでもないと言ってもらったから大丈夫かな。日頃死にたい死にたいと思ってても怖いものは怖いね。
 今となってはわからないことだけど、もしかしたら陣痛が来る前の数日の腹痛や出血は危険を知らせるものだったのかもしれない。妊娠している自分自身が違和感を覚えたら、プロの助産師さんとかに大丈夫と言われても診察してもらうべきだったのかもしれない。次回があれば、リスクがあるということを頭に置いて行動しようと思う。早産も繰り返しやすいようだし、早剥を繰り返す場合前回より2~3週早く起きることが多いようだから、30週ぐらいから管理入院させてほしい。普段楽観的な私だけど、子を失う可能性があることを考えると、それぐらい怖くなる。

その後

 私は、早剥という状態ではあったもののお産自体は安産で、産後の回復も問題なく、助産師さんたちに「元気ですね」と言われながら入院生活を送った。
 息子はアプガースコア9点- 9点で健康そのもの、一時的に新生児低血糖にはなったもののミルクを飲んで回復し、呼吸も栄養状態も問題なかった。
 二人とも、普通の経産婦さん母子と同じ4日で退院。しばらく息子の体重の増えが悪かったけどその後順調に増えだし、新生児訪問に来てくれた助産師さんにも4日で退院できたことや順調な体重の伸びを驚かれ、今日の1か月検診もなにも問題なくパスしました。

反省点、感想

  • 入院準備は早めに

 病院からも、30週までには入院準備しましょうと言われていたのにしていなかった。今回は間に合ってよかったけど、焦った。出産自体の進みも速い体質のようだし、とくに早剥というのは一刻を争う事態なので。

  • 仕事は余裕をもったスケジュールに

 やるべき仕事は終わらせていたとはいえ、契約に穴を開けることになってしまった。個人だけど、雇用関係にある場合の決まりに合わせて予定日6週前から休みにしておけばよかった。それでもさらに早産になる可能性ももちろんあるのだけど。

  • その他のことも早めに

 髪切りたいのを我慢してギリギリまで粘って35週に予約をしたら、その前に産んでしまった。我慢せず切っておけばよかった。
 焼肉もラーメンを行きそこない、産後のための食事の作り置きも中途半端だった。どこまでの早産を想定すれば安全なのかはわからないけど、次回があればそのときは今回の3週間前である32週には、諸々を整えておきたい。
 それから今回は36週の日曜日に上の娘の保育園の運動会があり、それを見てから産めるはずだったのが行けなくなって悲しかった。母子とも退院はできていたけれど早産児を連れて行くわけにもいかず、突然だったから母などに手伝いに来てもらう手配もできず、私と新生児は留守番することにした。娘に申し訳ないことをした。

  • こんな早剥もあるんだ

 上記のとおり、持続的な痛みでも危機感を覚えるような痛みでもなく、板のように固いお腹の張りでもなく、知識として知っていた状況とは違っていた。けどおそらくあのとき病院に行かずにいたらもっと強い痛み、悪い状況になっていたんだろうなあ。やっぱり、違和感があったらすぐ受診するのか大事だ。そういえば30週手前ごろまでは前置胎盤と言われていて、その後上がってきたのだけど、胎盤トラブルに見舞われる妊娠・出産だったなあ。
 妊娠出産はなにがあるかわからない、母子とも命がけのイベントだということを、わかっていたつもりだけど改めて思い知らされたし、助けてくれた先生、助産師さん、看護師さんたちにほんとうに感謝の気持でいっぱい、そして、生きていることをありがたく思う自分自身への驚きを感じています。
 二人目育児の難しさとか、家庭生活の困難とか、出産や産後の生活に関して書きたいことはまだたくさんあるけど、今日はひとまずここまでで筆を置く。また近いうちに書きます。

娘が2歳になった

娘が2歳になった。

 私たち夫婦がなにを心掛けどういう方針で子育てをしているとか私が娘になにを与えたくてなにを与えたくないとか、いろいろと書きたいような気もしたけど、いまは娘が2歳になったという事実だけでじゅうぶんだわ。


 2年前に私の腹の中から出てきた人間の子が、2年経って、2歳になった。それを祝った。それってつまり私も娘も死ななかったってことだ。夫も死んでない。よかったね。いいことだ。しあわせだ。私が生きてて、私が結婚した相手である夫が生きてて、そのふたりの子である娘が生きてる。病気や事故で死んでしまうことなく2年過ごすことができたという意味でもいいことだし、我々が自分自身の手でそれを終わらせることなく2年が過ぎたという意味でもいいことだ。どこかでなにか間違っていたらこれは実現できなかったのだから。


 娘、2歳の誕生日おめでとう。これからも元気にすくすく育ってください。慣れた保育園から転園もあって、ちょっと大変な1年だったけど、よく頑張ったね。ありがとう。

観覧車に乗った娘は靴を脱いで - 2017年を振り返る

月ごとにできごとを

 振り返ろうと思ったけどとくに重要だった出来事が思い出せない月が多くあり、時系列にどうこう書くのは止めました。twilogを見てみてもそもそもあまりツイッターをしていなかったし、これは、という出来事を思い出すこともなかった。

そんななかでもなんか

 まあ大事かなあと思うのは、

  • 2月に娘が1歳になったこと(http://d.hatena.ne.jp/n0mzk/20170208/1486566468)と、
  • 8月に北海道に引っ越してきたことと、
  • 10月にSyrupのライブに行くなど、久しぶりに音楽を聴くようになったこと、

かなあ。

母親として、妻として、

 これは去年とそんなに変わらず、ひとの話を聞くことはあんまりできなかったけど、本読んだりネット上の情報読んだりしながら子育てを。仕事と育児のほんの隙間に手抜きにも程があるような家事を。食事はだいたい毎日作った。
 仕事しながら育児をしながら家事をやることにだいぶ疲れていることを自覚した。考えることが多すぎて脳みそが限界だなと思った。夫は流れ作業でテキトーに、というやりかたができるようなのだけど、私はそれができないのかやりたくないのか、ぜんぶ考えながらやってしまうので疲れる、夫にはわからない疲れのようだ。


 娘はもう2歳手前で、だいぶしゃべるようになり、走り回り、身体も大きくなり、とても成長した。とてもかわいい。


 それから8月に夫の転勤で北海道に引っ越してきた。転勤に付いてくる妻だけど、自宅でできる仕事を持っているので変わらず続けている。

仕事人として、エンジニアとして

 去年から始めた仕事についてすこし理解が進み、サポートがなくても自分でコードを書けるようになり。今年書いたコードは、+31,782行, -12,528行でした。
 もうすぐリリースだよ。リリースされても、私がやった!って言っていいのかどうかわからないけど。下請けだから。

 個人事業主としてひとつの会社から毎月仕事とお金をもらっているのだけど、以前はその会社でいまの仕事で正社員になれるという話があり、それをアテにして物事を進めていたのに、諸々によりその話はなくなりました。人事部で仕事をしている人たちは、社内はもちろん、社外の人間の人生の一端も預かっているんだという自覚を持ってほしいですね。クソみたいな仕事してんじゃねえよと思いました。そういうわけで、いまも、おそらくしばらく先も、個人事業主

私という人間として

 仕事を始めてしばらく経って以前に比べればすこしお金が自由になるようになったこともあって、今年は久しぶりに音楽を聴くようになった。
 昔好きだった音楽も映画も文学も、私が鬱になって復活して妊娠して出産して育児をしているうちにもう手の届かない遠くへ行ってしまっていた。
 取り戻したいと、ようやく思った。


 転勤の話があってチケットを取れなかったSyrup16gのツアー、無事北海道に落ち着いたので札幌のライブに行った。チケット譲ってくれたひと、ありがとう。
 シロップを聴きはじめてからもう10年以上も経ってることに気付いた。
 「将来は素敵な家と あと犬がいて リフォーム好きな妻にまたせがまれて 観覧車に乗った娘は靴を脱いで」、あのころの私はこれを夢物語だと思って聞いていたし、「こんなんでいいんだろうか そんなわけないだろ俺 なんでここで涙出る」なんてほど切実に思い描いてもいなかった。そもそも「30代いくまで生きてんのか俺」だった。それが今じゃあ妻になり母になり、まだ30代にはなってないけど、日常をやり過ごすのでせいいっぱいで、文章を書いたりもしない、「ねえ そんな普通を みんな耐えてるんだ」、ただ普通の幸せと普通の不幸に満ちた普通を生きてる。「こんなんでいいんだろうか そんなわけないだろ俺」、と、あのときとは反対に、思うことがないわけじゃない。


 それからふと、すこし前の自分について振り返ってみたりもした。このブログを最初から読み返したり、もっと前にインターネット上に書いた文章を発掘してきて眺めたりもした。昔の私はちゃんと文章を書いていたなあと、あのころの私が書いた文章好きだなあと思った。いまは文章が書けなくなってしまったなあと、そのときも思ったし、いまこのブログを書きながらも、思ってる。昔文章を書いてたノートを捨てたこと(http://d.hatena.ne.jp/n0mzk/20121120/1353399341)を、初めて後悔した。


 いまこうして妻であり母である生き方は思えばずっと望んでいたものでもあり、もちろん大きな、無二の幸せで、それは間違いなく、だれに否定されるものでもない。だけどそれと引き換えに、引き換える必要のなかったはずの私を手放していたのかもしれないなあと思い至った。
 来年は、もっと好きに音楽を聴いて、小説を読んで、映画を観て、好きなひとと話をして、文章を書いて、そうやっていたいなあと思う。来年は30になる。20代のうちにやりたいことを、20代のうちにやろう。おまえら邪魔すんなよって、惑わされないぜって気持で、好きにやろう。1年前に立てた「来年の目標」の答え合わせとか書こうと思ってたけどまあいいや、って気持だ。去年とは違う気分だ。自分について、人生について、考えるのは難しい。考えてると死にたくなる。でも死んじゃいけないなって思ったのも今年のこと。それについてはまた追い追い。みなさん良いお年を。

娘が1歳になった

娘が1歳になった。

 大きな病気や怪我をせず無事に元気に1歳を迎えられてとてもめでたい。嬉しい。


 1年前の2016年2月8日のお昼過ぎに、52.2cm, 3440gで産まれた娘は1年かけて、81cm, 10.0kgになった。産まれたときから今までずっと、成長曲線の上限を辿ってきた。
 下の前歯が2本、上の前歯が1本生えた。
 最近は夜お風呂上がりにしかおっぱいを飲まなくなっていて、1歳になった今日は、お風呂上がりの授乳もなしで平気で寝てしまった。もう卒乳かな。お酒が自由に飲めるのは嬉しいけど、寂しいな。文字通り一年中おっぱいあげてきたので、それがなくなるというのは。

私の思い

 娘は、私の腹から出てきたとは思えないくらい、いつも明るくて楽しく元気よく、しっかり自己主張できて集中力のある子だ。もちろん親馬鹿全開の私の目から見た様子だけれど。


 それは、もちろんたまたま娘が持って産まれた性質によるところが大きいのだろうとは思いつつも、私がこうなってほしいと願って育ててきたことが功を奏しているのなら嬉しいと思う。本を読んだり人の話を聞いたりして知識を得ようとし、それらを土台に「うちのやりかた」がある程度は確立されて、それに沿った育児をできてきたんじゃないかなと思っている。
 だけど、育児というものを1年間してきて、育児なんてのは本当に親の自己満足だと感じる。そもそも子どもが欲しいと願ったのは親であって、この子はそれに付き合わされて産まれてきちゃったんだから、あんなにこんなにお金や時間や手間を掛けたんだなんて子どもに主張するのはおかしなことだ。子どもからしたらそんなの知ったこっちゃねえって話だ。私は私が満足するように、なるべく子どもにとって良いと私が信じることをしてやるだけだ。それが結果として娘にとっても良かったならそれは最高だけど、ママはこんなに手を掛けたのに一体どうしてあんたはこんな子に、なんてことは将来なにがあっても絶対に言いたくないなと今は思ってる。反抗期や子どもの自立を迎えたときにこんなことを思っていられるかどうかはまったく想像もつかないけれど。それでも、『「お母さんねぇなんでアタシを産んだのよ」「お母さんの子になんて産まれなきゃよかった」』ってだけは言われないように思われないように、娘の意思も汲んだ互いに幸せな生活を育児をしていけたらいいなあと思う。


 自分が親になり我が子の誕生日というものを初めて迎えてみて思うのは、娘には自分の誕生日を素直に心から喜べる人間になってほしいということだ。私は自分の誕生日がいつからか好きじゃなかったし、だから毎年毎年プレバースデーシンドローム誕生日前症候群とやらになっていたし、それはつまり自分のことが好きじゃなかったからなんだろうと思う。いつからそんなこじらせてしまったのかわからないけど、いつだって苦しかったし死にたかったし自分のことを自信を持って好きとは言えなかったし誕生日は嬉しくなかったんだ。
 娘は最近鏡や写真や動画の中の自分がとても好きなようで、目にすると笑っている。それが自分が好きだからなのかどうかはわからないけど、もしそうならいつまでもそうであってほしい。それが人間として正しい姿であるような気がする。
 そう思うと私は親に申し訳ない生き方をしてきたなと思う。思うけど、やはり今思うと、それも、親の育て方によるところも大いにあると思う。すべてがコントロールできる範囲の因果ではないことは重々承知しながら、それでも娘の今後の人生の良いことも悪いこともすべての原因を作ることができるんだという自覚は持っていたい。

概略

 私と夫がこういう育児をしてきた、娘はそれに対してどういう反応をした、というようなことはとても書きたいので追い追い記事にしようと思う。
 なにより良かったのは、早めから生活のリズムを親主導で作って、寝る時間、起きる時間、飲むまたは食べる時間、遊ぶ時間、というサイクルを確立できたことだと思う。それによって夜間授乳がなくなるのも早かったし、寝かしつけに何時間もかかるというようなこともなかったし、(娘が)毎日機嫌よく過ごすことができたと思っている。


 これからも娘の成長に合わせたそのときどきに必要な知識を身に付けることを厭わず、なにより娘の様子を冷静に我慢強く観察し、娘と、夫と、私と、みんなが幸せになる生活を探りながら作っていければいい。