猫が吠える

我輩は猫である。名前はみずき。

生活

けっこう最近まで描いてた将来像ってただの理想だよなーって気付いちゃったから書いてみる。


私は(主に金銭的な意味で)けっこう恵まれた環境で育ったと思う。
家族のことは割愛して私のことだけ書くけど、小さい頃は家にはずっと母がいて、鍵っ子じゃなくて、小学校5年生ぐらいから塾通って中高は私立、高2の途中ぐらいからまた塾入って、大学も私立に通ってる。
3つ下の妹もまあ同じようなかんじ。


で、私も自分の子どもが望むなら同じようなものを与えたいと、当然のように思ってた。
だけどそれってきっと難しいんだな。


うちの父は景気のいい時代に商社マンになったから、母は専業主婦で子ども二人こうやってしてもらえたけど、今ってそんな景気よくないし、私の就職先はIT系だから(商社と比べては)そんなお給料よくないだろうし、もし今の恋人と結婚するとしたら、恋人だってIT系だ。


最近まで思い描いてた将来像は、大学卒業したら私は仕事を始めて(ここまでは実現できそう)、何年かしたら結婚して、また何年かしたら子どもができて私は仕事をやめて、子どもたちが小学校卒業するくらいまでは専業主婦する、その後はパートでも正社員でも、また働いて、って感じだったんだけど、けっこう夢のような話だねって、今更気付いた。小さい子ども保育園に預けて働くなんて子どもがかわいそうだし他人に育てさせるなんて無責任って考えてたけど、まあそうせざるを得ないことだっていっぱいあるよなー。


やっぱり私は子ども産まれても働くのかなーとか、それでも、そんな小さい子預けるなんてかわいそうだなあとか考える。



だけど、自分の幼少時代を思い出してみると、私はいつも母の影にかくれて自分ではなにもしない子だったし、やることはなんでも母が決めてたから指示待ち人間になってしまったし、きっとそんなんだったから今でも親は私についてのなんでもかんでもを管理したがるんだろうなーと思う。
だからもしかしたら、もう少し早くに、母と子は離れるべきだったのかもしれない。


今から将来像描きすぎてそれに縛られるのも、それが実現できなくて嘆くのもイヤだし、いくら考えたってただ現実だけがやってくるし、どうせ未来に行けば、見えなかった未来ははっきりと見えるようになるけど、それでも考える。