猫が吠える

我輩は猫である。名前はみずき。

東北地方太平洋沖地震を横浜で体験して感じたこと

東北地方太平洋沖地震が起きて、横浜にいる私はまったく無事でいるんだけど、それでもけっこう揺れたこととか、6時間ぐらい電気が来なかったこととか、ニュースであんなひどい映像見ることとかがショックなことだったんだなーと思った。


最初の揺れがきたときは、寝たり起きたりしながらベッド(2段ベッド的なものの2階)でぐだぐだしてたら揺れだして、最初は地震と思わなかったけど、だんだん揺れが大きくなってきて、電話がプツって音たてて停電したことがわかって、これは部屋にいたら危ないかもしれないと思って廊下に出た。
ついったー見たらみんな「揺れてる」「大きい」とかって言ってたけど、テレビはつかないし、東北があんなことになってるなんてぜんぜん知らずに、まあ少ししたら電気も復旧するだろうなあと思ってた。
たっくんはついったーですぐ安全なのが確認できたのでよかった。
家族との連絡はけっこう大変だった。メールが受信できたりできなかったりして、妹は受信だけできるけどずっと送信できなかったらしくそれを一方的に知ってるついったーアカウントで言ってたので「ごめん覗き見したよ」って言って私は家族との連絡用
アカウント作って妹と連絡とりながら両親とメールしたりして、まあ無事なのはすぐ確認できたけど、みんな帰ってこられないけど近くにいるから合流しようかどうしようかみたいな話をした。ちゃんと意思疎通できたのは地震から4, 5時間後だったかなあ。


電気が使えないけど、充電してあったパソコン2台とポケットワイファイでネットはできて、UstでNHK流してくれてるのを見てみたらなんだか大変そうだっていうことがわかった。津波とか。
家の周りでも救急車や消防車の音してた。
だけど、まだ19時からの家庭教師のバイトに行こうとしてた。
とりあえず冷凍庫もダメになるからアイスたべようと思った。
ついったーの情報をたよりに、ガスの元栓しめたりお風呂に水張ったりとかした。


地震から3時間ぐらい経って、電気は復旧しないし、被害がすごいらしいし、たっくんは徒歩で新宿にある会社から吉祥寺の自宅まで帰っているらしいし、たいへんな災害なんだっていうのがわかってきて、家族とも連絡つかないし、電車も動いてないみたいだし、バイトとかしてる場合じゃなくて、懐中電灯探したりとか、暗い中で一晩過ごす準備をしなきゃいけないなあと思い始めた。


うちは生協? コープ? の、毎週頼んでいたものを宅配してくれるサービスを利用しているんだけど、そういえば金曜日はそれの日だと思ってドアを開けたら、ちょうどお兄さんが荷物を持ってきてくれるとこだった。
「大丈夫ですか」って訊いたら、うちのマンションのエレベータで2時間閉じこめられてたそうだ。それでも荷物持ってきてくれて、停電してるって言ったら、保冷剤やドライアイスを置いていってくれた。
ちょっとした情報交換をしたりして、気をつけて帰ってくださいね、ありがとうございます、って言って、私は冷蔵庫に保冷剤入れたり、冷凍庫の氷を救出したりした。
大きい懐中電灯を発掘したけど、中の電池が液漏れしてて使えなかった。小さいのは使えた。
お隣がおばあさん一人暮らしなので声かけに行ったけど、インターホンすら鳴らないんだねえ。この時は声かけられなくて諦めて戻った。
そろそろ家の中は真っ暗で、そういえば今日アイスしかたべてなかったのを思い出して、ごはん作らなきゃ、冷蔵庫の中の腐りそうなもの使ってしまわなきゃと思って、懐中電灯で照らしながら料理した。
携帯には地震速報来ないんだけど、ついったーで「地震速報だ」っていうのを確認するたびに、ろうそく消したり窓開けたりした。


そんなことをしてたら、ふと顔上げたら向かいの山の上にあるマンションの灯りがついてて、電気復旧したんだ、って思ってブレーカー上げたら電気がついた。すごい嬉しかったし安心した。テレビもついて、情報が映像で入ってくるようになった。
明るいっていうのは、とっても心強いことなんだと思った。
復旧したのが9時半ぐらい。


父は都内にいて、横浜の南端まで帰ってくるのは無理だったので、会社に泊まることになった。
母は横浜のビルの中で仕事してて、そのビルで泊まるって言ってたのだけど、生徒さん(母はインストラクターの仕事してる)がたまたまこちらのほうまで車で帰ってくるということで、一緒に乗せてもらって帰れることになった。帰宅したのは深夜1時か1時半ぐらい。
妹は横浜に彼氏といて、開放されていたパシフィコ横浜とかに向かおうとしていたらしいけど、相鉄線が運転再開して、彼氏の家までは行けることになったので、そこにお世話になれることになった。


電気が使えるのが本当に便利で、もう怖いものないような気分で、いろんなところからの情報見られるし、テレビ見られない人に向けて今度は私が情報提供してあげる番だ、って思ってた。
電気止まってるあいだにUstでNHK見られたとき、すごいありがたいと思って、ふだんはマスコミなんか嫌いだって思ってるけどこういうときに他の場所がどうなってるのか、自分のいるところはどんな程度のものなのかっていうのがまとまって見られるっていうのはほんとうに便利だって思ったし、電気が復旧してテレビ見られたときも、安心した。
パソコンのバッテリー切れて携帯でついったーするしか情報を手に入れる方法がなくなったときはけっこう不安で、普段から情報のあふれた世界に慣れてしまっているから余計に、情報がないとすごく心細いものなんだなと感じた。


結局23時ぐらいにようやく、その日最初のごはんをたべて、日付変わって1時過ぎぐらいに母が帰ってきて、ネットやテレビで情報を収集して4時ごろに、自室じゃなくてリビングで就寝。
7時ぐらいに目覚めてニュース見たりついったーで情報交換したりして、10時ぐらいから14時ぐらいまでまた寝たりして、起きてからはやっぱりついったーに張り付いて、情報を貪り、テレビの画面で太平洋沿いの地域の惨状をずっと眺めて、日付変わったくらいに家族はもう寝たので久しぶりに自室に戻ってやっぱりずっとネットしてる。今は3/13 3:40ぐらい。


それで、自室に戻っていつも通りついったーしたりたんぶらーのダッシュボード眺めたりあちこちのサイト見たりしてて、少しのことで泣きそうになったり小さい物音でも余震なんじゃないかって怯えてたりしてることに気付いて、被害もないし、冷静でいたつもりだし、できるだけみんなが安心できるような言葉かけようと思ってたけど、人生のなかでおそらく一番の揺れを経験したり、あんな悲惨な状況をずっとテレビで見続けていたりして、ああ私も疲れてたんだな、と思って、そういう気持を文章にしておこう、と思ったところ。



なんだか普段は、世界や日本のどこかで大きな災害が起きたり人が死んだりしても、私からは遠いところで起きたことだと捉えてしまうし、あまり痛みを一緒に感じることができなくて、死者の数だって私にとっては数でしかないし、非日常を楽しんだりもするし、ある意味ではどこか違う世界で起きているフィクションとして捉えてしまっているのだけど、今回はここも揺れたからなのか、停電があったからなのか、とても身近に感じてしまって、それが必要以上であるような気さえする。私は安全な場所にいていつも通りの生活ができているのに。
災害をこんなに身近に感じて、もうあんまり地震関連の情報見たくないなあなんて思うのは初めてで、これはどういうことなんだろうなあと、自分でも自分の感情の処理のしかたを測れずにいるところ。
まあ明日は人と会う予定があるので、地震後初めて外に出て、気分をすこし変えてこようと思います。


東北地方や千葉やそのあたりではもっとたいへんな思いしている人がたくさんいて、私はなにも被害に遭っていないし普段通りこうして過ごしていられるんだから、こんな程度でなにを怖がって疲れているんだとも思うけど、あんまりそうやって考えるのもよくないらしいしあんまり難しいこと考えないようにします。
募金とか献血とか、できそうなことしようと思っています。こうして行動にうつさなきゃと思うようなことも初めてじゃないかな。海外からたくさん応援や支援があるのに、私はこれまで海外の、というか日本の中のことでさえ、感情を持って接していなかった。今回こうやって災害を身近に、感情を持って感じたことは、覚えておきたいなあ。