猫が吠える

我輩は猫である。名前はみずき。

『君の名は。』

 観てきました。
 去年公開が発表されたときから、産後だし観に行けないだろうなとは思っていたのだけど、やっぱりどうしても観たくて、授乳のあいだの上映に行ってきました。
 行って良かった。家事と育児に追われて乾いていた心が潤う時間でした。ときどきでも良い作品に触れないと人間らしい心が失われていくわ。


 もちろん、ただ「映画が観られて良かった」ではなく、新海さんの作品を、『君の名は。』を、観られて良かったわけで。
 一言で言うと、最高だった。ほんとにとっても良かった。新海誠RADWIMPSを愛する私には、つねに鳥肌が立つような映画でした。
 以下感想を書くけど、ネタバレ気遣わずに書くので読みたくない人は読まないでね。

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娘、生後半年を迎える

 8月8日で娘が生後半年を迎えました。

5か月目の記録

  • 寝返りを左右どちらもできるようになった
  • 寝返りをして、足を触ったりなめたりして、自分の身体の輪郭をほぼつかんだ様子
  • うつぶせから、目の前におもちゃがあると進みたそうな動きをする
  • 何にでも興味があって、触りたくて、身体をよじって手を伸ばして掴もうとする

 そのせいで、おっぱい飲むのに集中しなくなっている

  • 親の食べているものには特に興味があって、食べたそうにしている(=離乳食準備OK)
  • 日焼けしてしまった

 とくに足が。私が焼けないで赤くなるタイプだから焼けないと思ってたが、夫に似て黒くなるタイプのようだ。

  • 一人で寝られなくなった

 前回4か月めの記録にも書いたように記憶力がついて目の前に親がいないと泣くようになった。以前はお話をしておやすみを言って寝室を出れば一人で寝入れたが、それができなくなってしまった。
 しかし目の前にあるものだけでなく、「無い」状態を認識できるようになっているというのはすごい進歩だと思う。

  • 隠されたものは、無くなったわけではないとわかっていそう

 タオルなどでおもちゃを隠すとタオルをどけようとする。目隠しをして視界を遮ると首を伸ばして覗き見ようとする。

  • 子どもに遊んでもらうと楽しそう

 散歩してるときに友達になった近所の小学生に、いないいないばあしてもらったり話しかけてもらったりして、とても喜んでいた。大人より、年の近い子どもに遊んでもらうほうが楽しいだろうし、家で親とばっかりいるんじゃなくて外に出ていろんな人と遊んだほうがいい。私が頑張ってもうちょっと人のいるところに出掛けないと。

  • キラキラしたものが好き

 水の入ったコップとか、光の当たったビニールとか。なのでペットボトルに水を入れたものをあげたら怖いぐらいの食い付きで遊ぶ。

6か月を迎えて

 ここまで風邪もひかず、病気やケガや事故なく元気に育ってきてくれて嬉しい。
 生まれたときから身長も体重も大きかったが、さらにすくすく育っている。体重8.5kg, 身長72cm. ほぼ母乳のみで体重は2倍以上に、身長は20cmも伸びた。すごい。赤ちゃんの身体って、人間の身体ってすごい。
 身体だけでなく、精神面も順調に発達、成長してくれている。赤ちゃんらしく泣くことも、かんしゃくを起こしたように怒ることももちろんあるけど、いつもニコニコと笑顔を見せてくれて、あやすと声を出して笑うし、なにか伝えようとあーあーうーうー話し掛けてくれるし、欲しいものに手を伸ばし前に進もうとする意欲もある。


 娘の顔を見るたび、はあーかわいいなあ、と思う。我が子というのはこんなにもかわいいものなんだなあ。これからどんな子どもに育っていくのか、どんな人生を送るのか、とても楽しみ。楽しく幸せで、好奇心と意欲にあふれた人生であってほしい。

28歳になる

 8月4日で28歳になります。
 母になってから初めて迎える誕生日です。


 以前精神をこじらせていたころは、毎年誕生日前になると精神状態が不安定になる、誕生日前症候群とかPre Birthday Syndoromとかいうやつになっていましたが、今年はそんなことありませんでした。そんなことを気にしている暇がなかったというか。
 母親になると、本当に自分の誕生日を忘れてしまうようになるのかもしれない。

なりたい大人となりたくない大人

 28歳っていうと、もう立派なアラサーというかんじがする。油断しているとすぐオバサンである。いつまでも「女子」だとかいうつもりはないけど、まだオバサンになってしまいたくもないので気をつけないと。


 子育てをしながらも、自分のことを気にかけて、自分のために時間やお金や労力をかけられる余裕を持っていたい。いつもスッピンでボサボサの髪で似合ってもいない年相応でもない服を着たオバサンになりたくない。
 夫と娘といつも笑って過ごしていたい。ちっちゃなことでイライラしてたくない。
 周りのひとを大切に、友達とちゃんとつながりを維持できるようになりたい。一人でいるほうがラクだから〜めんどくさいから〜って周りをはねつけて切っていくスタイルはやめたい。
 就職して自分でお金稼ぎたい。夫に稼いでもらったお金をいただく生活を卒業したい。これは今年中に達成できるはず。しなければ。
 子どもたちと一緒に遊べる体力と気力がある、ちゃんと体を動かせる大人でいたい。子どもの体力についていけずちょっと離れて見守るしかない親になりたくない。


 なりたくない大人のほうに近いのでなりたい大人に近づけるよう努力しよう。

ほしい者リスト

よろしくお願いします。
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娘0歳4か月の記録

娘が5か月になったので、4か月めの記録と考察を。

箇条書きにて

  • 授乳間隔は4時間

 4か月になるすこし前から、3時間おきのリズムが合わなくなってきたので4時間おきへ移行。
 6時、10時、14時、17時に授乳、18時にお風呂、お風呂から上がったら就寝、22時に寝ながら授乳、そのあとは朝まで8時間寝る、というリズム。急成長期がきて、それでは足りなさそうなときはお風呂上がりの19時ごろにも1回授乳を足す。授乳と授乳のあいだは、なるべくしっかり体を動かして遊んだり、外に出たりしてから昼寝。

  • 首すわりがまだすこし不安

 引き起こし(仰向けに寝ている状態から手を引っ張って体を起こす)をしても頭がついてこない。一般的には首すわりは3か月ごろなのだけど、5か月に入っても不安定なのはかなり遅めだと思う。大事に大事に扱いすぎたかもしれない。それと、他の赤ちゃんを見るとみんな頭が小さい。うちの子がたっぷり肉をつけてほっぺがプクプクなのもあるけど、そもそも頭蓋骨が大きいように思う。首すわり遅いのはそのせいもあるだろうと思っている。
 ちなみに、首が「座る」と思っている人がたくさんいるようだけど、首は座らないからね。据わる、だからね。

  • 寝返りマスターしてしまった

 発達の順番としては、首すわり→寝返り、が正しいんだけど、首がしっかりしないまま寝返りに成功してしまった。ずっとコロコロ転がっているわけじゃないが、やる気があれば、自力でしっかりスフィンクスのポーズになれる。

  • 朝起きると布団から脱走してる

 以前は90度ぐらい回転しているだけだったのが、最近では縦横無尽に移動している。小さい赤ちゃん布団からはもうとっくにはみ出している。

  • 手はずいぶん発達して、親の手も、大きいけど自分のと同じ手だと認識してる様子

 親指でものを掴めるようになり、おもちゃをしっかりと掴んで口に運ぶし、両手で協調した動きができる。親指を他の4本の指と対立させられるのはサルと人間の違いだそうで、ちゃんと人間に進化しているのだなと実感。
 親が目の前で手本を見せれば片方の手からもう片方の手におもちゃを持ち替えられる。両手でおもちゃを持っているときにもうひとつのおもちゃを見せると片手を離して掴みにくることがある。両手がふさがっているときにもうひとつおもちゃを見せると、一つを手放して3つめをつかみにくることがある。親が目の前でグーパーして見せると真似してグーパーする。

  • 足も発見した

 手で足の先をつかむ。お風呂で浮かんでいるときに目の前にあるものが自分の足であると気付いた様子。操れるようになるのはまだ先。だけど、足を触りながら体を動かすことで、だいたいの体の輪郭を知っていくはず。

  • ウンチはだいたいオマルで出す

 「EC(エリミネーション・コミュニケーション)」とか「おむつなし育児」とかいう手法。新生児でも排泄の感覚はあるしコントロールもある程度できるが、大人の都合(汚されたくない)でオムツで排泄させることで、その感覚を忘れてしまっている、それを忘れさせないようにしよう、というやり方を知って少しずつ実践。オシッコは難しくてまだ日に1回くらいしかオマルで出させてあげられていないけど、ウンチはほとんどオムツでしなくなった。
 これについてはまた別の記事を書きたい。

  • 目の前にないものをちょっとのあいだ記憶できる

 「いないいいないばあ」で笑うようになったということ。目の前にあった親の顔が隠されても記憶していられるようになったことで、それがまたすぐ現れると笑うんだそうだ。ただ、同じ理由でだと思うけど、親が見えなくなると泣くようになった。

離乳食いつから始めるか問題

 今の厚生労働省の指導では、5〜6か月で、赤ちゃんの体と気持の準備ができていたら離乳食を開始しましょうということになっている。周りを見ても、本を読んでも、だいたい5か月になったらすぐ始める親が多いように思う。でも先に書いたように娘は首すわりがまだ不安なので、もうすこし様子を見ることにする。
 WHOのガイドラインでは6か月になるまでは母乳以外与えない、となっていて、どうして日本は1か月早いんだろうと疑問に思っているのだけど、まだ調べてない。進め方についても日本では十倍粥をすりつぶしたものからとされているけど、WHO的には、母乳の栄養が足りなくなるから母乳以外のものを摂取するのに母乳よりカロリー密度の低いものをあげてどうするんだと言ってる、という記事を読んだこともあり(そもそもWHOは乳を離れるための「離乳食」とは言わず、母乳で足りなくなったエネルギーや栄養を補給するための「補完食」と言っている)、なにが正しいのやらと迷いつつまだあんまりちゃんと調べられていなくて自分のなかで納得がいっていない。離乳食の進めかたについては、3つほど講習を受けたし本も何冊か読んだけど、もうすこししっかり多方面の知識を仕入れて自分なりに納得したいところ。アレルギーについても、科学的に根拠のない古い俗説が、ミルクメーカーがやってる離乳食教室でまで指導されていたし。

育児は難しい

 離乳食に限らず育児全般に言えることだけど、いろんな説や主張があって、なにが正解か不正解かもよくわからないままで、選択の結果が良かったのかどうかも確かめようがなくて、難しいことだらけだ。多くのひとはとくに疑問も持たずにみんながやってることをそのままやっていてそれで問題なく育っているのだけど。だけどちゃんとした知識を得ることでより良く育ったり、無駄な苦労をせずに済んだりするのならそちらを選択したい。
 元来のオタク気質が幸い(災いかもしれないが)して、広く知識を収集して、実践、観察して研究するのがとても楽しい。

書きたいことメモ

 近いうちに以下のことについてもまとめて記事にしたい

  • 離乳食の開始時期や始めかた、進めかた
  • 「おむつなし育児」(と「自然派育児」)について
  • 赤ちゃんと人間らしさについて思うこと

娘が低月齢期を卒業した

 2月に第一子である女児を出産して、低月齢といわれる時期(3か月まで)を卒業した。
 いろんな出来事や感情を書き残しておこうと思っているうちに日常に追われて4か月も経ってしまったけれど、今のうちに書いておきたい。


 我が子はほんとうにかわいい。
 まさに「目に入れても痛くない」ぐらい。

小さな生き物がやってきた

 前回のブログにも書いたけど、生まれたときは、想像していたより大きくて、色白で、かわいらしい、人間らしいと思った。
  でも、赤ちゃんなんて周りにいなかったから、どう扱っていいのかわからず、触れるのもこわかった。壊れてしまいそうで。入院中は、授乳やオムツ替えのほかはほとんどさわらなかった。コットに寝かせていた。今思えばもったいないことをした。やっぱり人間というより生物であり、生命のかたまりだった。
 退院してきてからは、この子を守り育ててやれるのは私と夫しかいないのだという当たり前でとても大きな事実にようやく気付いた。目の前の生物は、寝て、泣いて、飲んで、排泄するだけ。ただただ「生きて」いるだけだった。私はその生物を生かすために、昼夜問わず抱き、あやし、授乳し、オムツを替え、その合間に自分の生活や家族のための家事をする生活になった。
 辛かった。
 産後のホルモンの急激な変化と身体的ダメージ、昼も夜もない生活と、なぜ泣いているのかわからない小さな生き物によって私の精神状態はグチャグチャだった。わけもわからず涙が出てきたり、夫にあたったりした。それでも夫は文句も言わず助けてくれたので感謝している。
 ただ、そんな辛いなかでもこの小さな生き物はすべてがかわいくて、愛しくて、大切だった。「愛してる」や「好き」とは違う「愛しい」という感情を、このころ人生で初めて味わったように思う。

生物から人間へ

 おそらくこの子は育てやすい子なのだろうと思う。入院中からあまり泣かず、よく寝る子だった。それでも、母乳をあげてもあげてもすぐにまた求めてきたり、なにをしても泣きつづけたり、寝なかったりして、ゆっくりお風呂に入るとか夫婦そろって食事をするとか、そんなことはずっとできなかった。赤ちゃんがどうして、何を求めて泣いているのかわからないのが辛かった。こんな生活がいったいいつまで続くのだろうと途方に暮れた。
 1か月検診が終わったあと、夫に娘を見ていてもらって図書館に行って育児書を何冊か借りてきた。産後初めての自分のための時間だった。すこしでも暇があったら寝たいところだったけど、それ以上に、この秩序のない生活をどうにかしないと心も身体ももたないと思って、空いた時間を見つけては本を読んだ。

トレイシー・ホッグの赤ちゃん語がわかる子育て大全

トレイシー・ホッグの赤ちゃん語がわかる子育て大全

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 たまたま図書館にあったから読んだ『トレイシー・ホッグの赤ちゃん語がわかる子育て大全』にはずいぶん助けられて、その後自分でも購入した。ここで紹介されている"EASY"という、赤ちゃんとの生活のリズム作りのやりかたは私と娘にとても合っていたので取り入れて良かった。生活にリズムができたこと、赤ちゃんの様子をしっかり観察するようになったこと、寝る練習をしてもらったことで、それまでめちゃくちゃだった生活がすこしずつ整ってきた。このころから、だんだんと子育てが楽しく思えてきた。娘が愛しくて仕方がなかった。私のもとに生まれてきてくれて本当に嬉しいと思った。
 それまでただ「生きて」いるだけだった小さな生き物が、よく見るとちゃんと意思表示をしていて、感情があって、欲求を持っていることに気付き、急に人間らしく思えるようになった。生後40日を過ぎると、それまでの新生児微笑ではない、社会的な笑顔が出てきた。そうしてコミュニケーションが取れるようになってくると、なかなかうまいチームワークで生きていけているんじゃないかという自信が持てるようになってきた。

母になる

 最初は細かった娘がだんだんとムチムチになり、発音できる音が増え、昼間起きていられる時間が伸びてきた。
 私の辛いことも変わってきて、身体的なしんどさよりも、社会的な問題がふくらんできた。密室育児で話し相手がいないことが辛くなってきた。里帰りしなかったこともあり、平日は家に赤ちゃんと二人きり。産んだのがインフルエンザの流行っている時期だったから外出もあまり積極的にできず、大人と会話することが本当になかった。すこしずつ抱っこ紐やベビーカーで外出するようになると、スーパーのレジでほんの一言ことばを交わすだけのことがとても嬉しかった。2ちゃんねるの育児板にもたいへんお世話になりました。
 それから、子育てをするというのはつねに何にも優先して子どもの欲求に対処するということであり、寝ていてもお風呂に入っていても、洗濯物を干していてもペットの爬虫類たちの世話をしていても、娘が泣き出したら駆け付けないといけないということなのである。だから、通勤電車が辛いことも仕事が大変なことも知っているけど、外に出て仕事している夫がうらやましかった。通勤中は何にも邪魔されずにうたた寝したりニュースを読んだりできるし、仕事中は、多少の割り込みがあるにせよ自分の仕事をできる環境が、うらやましいを通り越してうらめしかった。これは4か月経った今でもそう思う。


 そういえば私は昔、当然のように専業主婦になる未来を思い描いていたのだった。結婚して子どもを産んだら仕事を辞め、2人ぐらいの子どもたちを家で育て、小学校なり中学校なりに上がってからパートや仕事を再開するのだと思っていた。私の母がそうだったから、私もそうするのだということに何の疑問も持たなかったし、そうしたかった。今の時代どうこうとか経済的にとかいうことは置いておいて、私にはそんな生活は向いていなかった。いくら娘がかわいいといっても、子どものためだけに自分の人生のうちの何年間かをすっかり捧げるということは、私にはできなさそうだ。外に出て働いて、自分でお金を稼いで、それとは別で、子どもや家族との時間を持ちたいと思う。
 なので今は、認可保育園に申し込んで待機しつつ、無認可保育園の公開保育に行ったりしているところ。
 いつから預けるか、どこに預けるか、私はいつから就活できるのか、どこで、どういう条件で働けるのか、考えるべきことがたくさんあって毎日時間が足りない。今の家に住みつづけるのか引っ越すのか、何年後に次の子を産めるのか、あと何人産むのか……、もう今年で28になるけど、この歳になっても人生はまったく定まっていない。


 たとえば私がいつもどおり一人で家で娘の世話をしながら家事に追われているときに夫が飲み会に行って、一人楽しそうに酔っぱらって連絡も忘れて深夜に帰ってくる姿を見ると、私はとても惨めな気持になった。娘とずっと一緒にいられることに幸せを感じながらも、私はお金を稼いでいなくて生活するにも何するにも夫が稼いできたお金を使わせてもらう立場、自由に飲み歩いたり、そうじゃなくてもちょっと遊んだりするようなお金も時間も自由もない、そんなことばっかり考えて、私には子どもを持つのはまだ早かったんじゃないかと、悩んでも仕方のないことで悩んだ。だからって取り消しなんてできないしできたとしてやろうとも思わないのだけど、これからどうにかもがいであがいてこの不自由さを打開するしかないのだけど。これを「不自由」と言ってしまう母親で申し訳ないとも思うけど、仕方ない、私は家族や子どもにすべてを捧げることで幸せを感じるタイプの人間ではないのだ。そうじゃないやりかたで娘に愛情をそそいで、家族をしっかり家族として構築していきたいと思う。

子を産んだ

 2月8日に子を産みました。

出産まで

 検診では前々から、大きめだから早めに産もうと言われていた。37週終わりの検診では、散歩などして体を動かせば今週中に産まれるよと言われる。
 38週に入った土曜日、最後の夫婦二人での食事のつもりで近所のちょっとお高いランチを食べに行く。おまかせランチコースだったけど、SFCの近くで育てられている「みやじ豚」を食べられたので大満足だった。
 私も夫も予定日ちょうどに産まれていたこともあって予定日どおりに産む心算でいたけど、ランチをしながら、なんとなく二人での週末は最後のような気がしていた。買い物などして歩き回ってから帰った。


 翌日曜日、昼まで寝て起きたら出血のような感覚。もしかしたら破水かもしれないと思いつつ昼ごはんを食べて様子を見る。
 なんでもないかもしれないけど一応診察してもらって安心しようと思い病院へ電話。入院準備して来てとのことなので、荷物を確認して夫に付き添いを頼んで登録していた陣痛タクシーを呼ぶ。
 検査すると、破水していた。そのまま入院して、陣痛が来るのを待つことに。これが14時半ごろ。翌朝までに陣痛が来なければ促進剤を点滴して産みましょうとのこと。
 破水しているのでベッドの上で安静にしているしかなく、陣痛も来ず、暇。付き添いの夫も暇。パソコン持って来て仕事しようかな、とか言いだすぐらい暇。母に入院したと電話したら、両親が面会に来ることに。夕食はステーキ。豪華でボリュームたっぷりでびっくり。「妊婦さんには多すぎるかな」と言われながら完食して助産師さんに「やるねー」と褒め(?)られる。
 20時で面会時間が終了し、翌日の説明を受ける。昼間に産むために朝早くから点滴を始めるとのことで、朝5時半起きと言われる。普段お弁当作りのために起きている時間と変わらなくてがっかり。


 歯を磨いたりしながらサンデースポーツを見た。プロ野球のキャンプの時期だった。ヤクルトのキャンプ特集で、中村が山田と川端に打率低いっすよヤバイっすよといじられてた。はやめに消灯して布団に入ったが、興奮か緊張か、なかなか寝つけなかった。ついったー見たらいきものがかりの水野さんがデビューまでの経緯をまとめてpostしてるのを見かけてリアルタイムでそれを見ていた高校生のころを思い出したり、子無し生活最後の夜くらい夫婦二人で寝たかったなあと思ったりしながらなんとか目を閉じうとうとしたり、目醒めたりを繰り返した。

出産

 2月8日月曜日
 5時半に起きて身支度をし、胎児モニターで赤ちゃんが元気なことを確認、促進剤の点滴を開始。最初はブドウ糖だけ入れて、すこーしずつ促進剤の量を上げていく。
 8時ごろ、うっすらと生理痛のような痛みを感じながらもまだ余裕があり朝食を完食。昨夜の黒縁めがねの助産師さんにまた褒め(?)られた。いつも通り朝ドラを見た。スーパーボウルの日だった。自宅で見るつもりだったのにまさかもう入院しているとは思っていなかった。病院はBSがうつらなくて観られなかった。
 9時半、急激に痛みが強くなり、2〜3分間隔の波が来る。母親学級やなんかでは陣痛は10分間隔から始まると習っていたのに話が違うぞと思いながら耐える。ナースコールをして、内診してもらう。このとき、波が来るたびに陣痛アプリで痛みが来た時間、引いた時間を記録していた。助産師さんに、「そんな余裕があるうちはまだまだだね、ナースステーションでモニタリングしてるから記録しなくていいよ」と言われる。朝から担当してくれていたのはガッツリ大阪弁の頼もしいお姉さんだった。BSうつってもスーパーボウル観てる余裕なんてまったくなかった。
 10時、立ち会い予定の夫が来てくれたが、痛みの波が来てるときは会話できず。ひどい寒気と吐き気がして、部屋の暖房をガンガンかけて、私と夫のコートを掛けてもらってもまだ震えていた。
 11時半、陣痛のたびにああああああ、とかううううう、とか声を出さないとやりすごせなくなる。静かに産もうと思ってたのにできなかった。一体あと何時間続くんだろう、無痛分娩にすればよかったと弱気になる。が、内診してもらうと子宮口が8センチ開いていて(10センチで全開で、赤ちゃんの頭が通れるので産める)、赤ちゃんの頭も下がってきていると聞き、意外とゴールが近いと知って気持を持ち直せた。この内診のあと、痛みが来るたびに勝手に下腹部に力が入ってしまうように。人生で一度も経験したことのない感覚だった。子宮が赤ちゃんを押し出そうとしていたのだろう。


 12時、内診。ほぼ全開になったので分娩室へ移動。進みが早すぎて助産師さんたちが慌てていた。退院診察のときに、同じ日に3人目を産んだお母さんと一緒になって聞いた話では、その人は私の直前に産んで分娩台で休んでいたのに、私の進みがあまりに早くて車椅子の準備もできないまま分娩室を追い出され、歩いて病室に帰ったらしい。悪いことをした。
 先生が登場して、助産師さん看護師さんもたくさん集まってきた。全開とは言われたもののいきんで良いとは言われず、何度か陣痛をやりすごす。何度めかで勝手にいきんでみたら、頭が出ていると言われる。やはり大きいらしい。大勢集まった助産師さんたちに上手上手と言われたのが、おだてられているだけだろうと思っていたけど本当にちゃんと赤ちゃんを押し出せていたらしく、分娩台に上がって10分で赤ちゃんが出てきた。
 出てきた子は頭だけでなく全身大きくて、助産師さんたちに「ムチ子ちゃん」と呼ばれていた、と、夫が言っていた。私はそんな周りの様子を見聞きする余裕はなかったようだ。それでもとにかく産まれたての子と対面した。想像していたより色白で、大きくて、かわいらしかった。母が私を産んだとき、真っ赤でお猿さんみたいで、かわいくはなかったと聞いていたのでその話とのギャップでそう感じたのだと思う。

その後

 あらためて綺麗にしてもらった子を抱いたのはたぶんそれから2時間ぐらい経ってからだったか。
 部屋に連れてきてもらい、寝かされたままの私の隣に寝かせてもらった。こんな小さな子をどうやって扱ってよいかわからず、こわごわとぎこちなく抱きながら初乳を吸わせた。目もほとんど開いていない、この世界のことなんてなにもわかっていなさそうな子が必死に吸っているのを見て、人間、というか生物の本能というのはうまくできているのだなあと感心した。


 それから写真を撮ったり夫と交互に抱いたりして、新生児室に帰っていった。私は入院する部屋へ。この日もごはんがおいしくて、いろんな痛みや違和感と戦いつつ完食。翌日から母児同室だったからゆっくり眠れる最後の夜だったのだが、産後ハイのせいか、うまく眠れなかった。

感想

 思い返してみるとあっという間で、嵐のような出来事だった。
 まだまだ先が長いと思っていたときの痛みは本当に辛かったけど、痛みなりに進んでいたので救われた。辛いというよりもむしろ楽しかった。これなら次も無痛にせず産めるかな。自然に来る陣痛を体験してみたい。今回無痛分娩も選択できる病院だったけど、陣痛を体験してみたくて普通分娩にしたんだ。だけど促進剤を使うことになったから結局自然の陣痛は体験できず。次があればそのときに。


 まったく子ども好きではなかったのに、自分の子は本当にかわいい。育児は辛いことしんどいこともものすごく多いけど、それ以上にかわいくて幸せ。体力と年齢と経済状況が許すならあと3人でも4人でも産みたい。

おまけエピソード

 タクシーで退院して自宅まで戻ったのだけど、そのときの運転手さんが偶然、本当に偶然、入院のときに呼んだ陣痛タクシーの運転手さんだった。行先を告げたときに「以前乗せたことありますよね」と言われ、よく見たらあのときの運転手さんだった。あのとき入院して、産んで、いま帰りなんですよーと話をした。行きは夫と二人で乗り、帰りは娘を抱いて3人で乗る。家族が増えたんだなあと最初に実感したのはこのときだったように思う。

2015年を振り返る

 2013年から記事を書いてないのに振り返るもなにもありませんが。
 史上最高かもしれないぐらいに溜まりまくったストレスの捌け口に文章を書く。

妊娠

 夏前に妊娠しました。来年2月に第一子が生まれる予定です。
 それによって体調は普段通りじゃないしお酒も飲めないのでまあそれもストレスが溜まる一因ではあるのですが。
 何よりお金がないことが最大の原因です。お金さえあればこのぐらい体調が悪かろうが2年ぐらいお酒が飲めなかろうがどうとでもなる。


 これまでの生活をまとめると、鬱病で休職→休職期間満了で退職→失業保険で生活→体調回復→お金が底を尽きるのでアルバイトを始める→妊娠→今後の生活を考えて引っ越すことにする→バイトを続けられなくなり専業主婦に、という流れ。
 会社を辞めたことによるのかどうかはわからないけど鬱はすっかり良くなり、いつのまにか夜寝て朝起きるという生活ができるようになっていました。そうして体調が回復してきて、結婚生活も3年目になり、子どもが欲しくなって作ったわけですが、もうちょっと現実的なところを考えてからにすべきだったんでしょうね。見通しが甘かったのでいまお金がなくてストレスで死にそうになっているわけです。
 バイトとはいえ月10万ぐらい稼げていたものがなくなると、日々の生活費や食費も夫から頂かなくてはいけなくなる、自由になるお金なんて一銭もない、という状態で、たまに欲しいCDや本を買うとか映画を観に行くとか友人と食事に行くとかそういうことが一切できないわけです。お金がないと引き籠もるしかなくなって、やることといえば家事、爬虫類たちの世話、あとはスマホゲームでもしているしかない、という状態です。
 まあ今更なにを言っても考えてもどうにもならないので、もうしばらくはただ耐えて、子どもを預けられるようになったら預けて働くしかないのですが。子持ちでブランクしかないような女が再就職なんかできるのかという重大な問題はあるけど。なににしても、自分でお金を稼ぐしかない。子どもを不幸にしないようになんとかしないといけない。
 それまで私がこの生活に耐えられるのかわからないけど。耐えられずにまた精神をやられたりなんかすると詰みますね。そうならないといいですね。

今後

 妊娠生活というのは多くの人にとってどうやらもっと幸せなものであるようだけど、私はこんな生活なのでまったく幸せではありません。ストレスしかありません。出産準備の買い物をするにしても、少しでもお金をかけないように必要最低限生活できるようにと考えていればお花畑になる余裕なんてありません。
 幸せな妊娠生活を送れる女性たちはおそらくちゃんと仕事があったりそれまでの蓄えやなんかがあったりして生活の基盤を手に入れてきているんでしょう。私はそういう努力をまったくしなかったので仕方がありません。勉強するなり仕事するなりかわいらしさを身につけるなりしておくべきだったのです。これから巻き返すのか、このままただ文句だけ垂れ流して生きていくのかのどちらかです。