猫が吠える

我輩は猫である。名前はみずき。

卒論を提出して、試験を受け終わりました

19日に、無事提出できました。
一週間前ぐらいにはちょっと提出できなくて卒業できないんじゃないかと思ってましたけど。
結局なんとかなっちゃうんです。よ。


卒論何を書いたかというと、「検索・投稿システムを利用した喫煙所情報の相互提供サービス」です。
喫煙所の検索投稿サービスを作って、それの評価をしました。
結論としては、もうちょっと見つけやすくする工夫が必要ね、だけどそうしたらちゃんと見つけやすくなるよ、ってかんじでした。

あとは卒論の発表やったら、単位がちゃんと取れていれば、卒業です。

ちょっと、大学生活を振り返ります

私は慶應義塾という大学の、湘南藤沢キャンパス(SFC)というキャンパスの、総合政策という学部に4年間通っていました。と言っても、SFC内の総合政策と環境情報という二つの学部はほとんど同じようなもので、取れる授業は同じ、進級や卒業のための条件が少し違うだけなんですが。
授業は、ほんとうにいろんな領域のものがあります。政治とか経済とか国際関係とかマーケティングとかデザインとプログラミングとか生物とか建築とかいろいろ。何を履修してもいいのです。
カリキュラムが、他の大学と比べて変わっているのかどうなのかあんまりわかりませんが、必修科目はほとんどなくて(あるのは体育と、プログラミング科目と、学部によっては語学と、卒業プロジェクトかな?)、研究会と呼ばれるゼミにはいつから所属してもいいことになっています。
それから、入試は、AO入試を日本で初めて取り入れた学校(学部)だそうで、AO入試で入る人がけっこういます(どれぐらいかは知りません)。一般入試は、英語 + 小論文、数学 + 小論文、 英語 + 数学 + 小論文、の3パターンあります。それしかありません。


こういう学部に、私は英語 + 小論文の一般入試で受かって(私立文系だったので世界史や国語の勉強もしていたけど、それらを使った試験をするところ、慶應の他の学部とか早稲田とかMARCHとか学習院、は全部落ちました。)、第一志望は慶應法学部政治学科だったんだけどでもかなり満足して入学して、ほとんど必修科目のない中でぬくぬくと育ってきたわけです。


最初は政治学科を志望してたのもあるし、政治について勉強したい! と思ってて、でも4年間で政治系の授業は一つぐらいしか取らなかった気がする。
最初の学期、ピタゴラスイッチとかの佐藤雅彦先生の授業に、すごい倍率の選抜の中受かってしまって、履修しました。たしかにおもしろかったんだけど、入学したての私にはキツかったのと、感覚的にあんまり理解できないなあというところがあって、ほんとうは1年間履修できたのに、一学期でやめてしまいました。今思えばもったいなかった。
そういうのも含めて、SFCの授業楽しい!!!と思って、いろーんな授業を受けよう! と思ってました。


2年生の春は心理学の研究会に入って、でも、基本的に学生が自分のやりたい研究を進めて先生はそれを見守るというやり方が、研究とはどういうものなのかとかまったくわかっていない私には戸惑うもので、1学期でやめてしまいました。メンタルヘルスとかについて扱っていて精神的にキツかったのもあったけど。


秋学期は、コラムを書く研究会に入りました。映画を観て、それに対するコラムを書くところだったのだけど、上級生の内輪ノリとそれ以外の人のやる気のなさを見て、私もやる気をなくして、これも1学期でやめました。
あとこの頃から認知言語学にハマってました。言語学系の授業は2年秋と3年春でだいたい履修したと思う。全編英語な授業とかもあったけど楽しかった。


ところで、1年生の春学期には情報の初歩の授業があって、とくに詳しい人以外はその授業を受けて、情報に関する基礎知識のテストとタイピングテストに合格しないとその単位はもらえないという制度があります。それで私はなんとかギリギリ合格して単位をもらえて、その授業の担当だった先生が秋学期にやってた、プログラミング入門みたいな授業を履修しました。そこでたいして成績はよくなかったのだけど、先生と仲良くなったからという理由で、2年生からそのプログラミングの入門の授業のSA(Student Assistant, 授業のお手伝いみたいな)をやることになりました。もう一人のSAは一つ上の先輩で、先輩が卒業するまで2年間ずっとペアでSAをやることになるのだけど、その人にはいろいろ教えてもらって、お世話になっていました。


で、3年生の春学期に、その先輩の勧めでプログラミングの授業を履修しました。
よくわからずに履修したのだけど、とある企業の寄付講座で、ウェブサービスのアイディアを考え、自分でそれを実装する、というもので、プログラミング入門の授業をなんとかパスした私にとってはどうしようもなくレベルの高い授業だったわけです。しかも他の履修者はみんな趣味でプログラミングしてるような人たちだったし。
それでも先生やSA, TA(Teaching Assistant, SAの大学院生バージョン)の人たちが親切に教えてくれて、プログラミング初心者だった私もなんとかウェブサービスっぽいものの原型を作ったんです。
で、この授業は寄付講座だったんですが、履修者のうちの何人かは夏休みに寄付してくれている企業にインターンに行けるよという話を聞いていて、さらに最終発表を聞いていたその企業の人に気に入っていただけて、夏にインターンに行けることになりました。
そこで授業の続きの開発を、社員さんに教えてもらいながら1か月間、週に2, 3回ぐらいやって、なとなぁーくRuby on Railsというものでプログラムが書けるようになってきたような気がしだしました。


そこで、私たちの代から必須になった卒業プロジェクト(卒プロ)というものがあって、卒業論文または卒業制作を、必ずやらなきゃいけないことになっていたので、3年の秋だしそろそろ卒プロのための研究会を決めないとということで今の研究室の面接を受けました。
面接のときには、まずは今やってる(授業とインターンで作ってた)ものの続きをやりたいと言って、無事受け入れてもらえました。


それで、ウェブサービス作ったって研究にはならないと思ってたので、4年になる時点で他のこと始めようと思ってたのだけど、3年の最後の最終発表のときに、そのままやればいいじゃん、って言われて、結局そのまま卒論まで来たわけなのです。
でもやっぱり途中で、サービス作るだけじゃない、仕組みを考えて研究してる人たち楽しそうだな、って思ったりして、最後まで、私のやってるのは研究と呼べるものなのか? っていうのはずっと思ってた。


そうしてどう育ったのかについて

そして、内定先とかいろんなとこで卒論についてとかの話をするんですが、私は研究内容言うと、理系とか情報系とかの人って捉えられるんです。
でも大学受験までは私立文系で、中途半端な世界史と国語と、少しの英語を受験のために勉強したぐらいで、数学も物理もやってないしコンピュータのこともプログラミングのこともぜんぜん知らなくて、じゃあ何が専門なのって聞かれたら、答えられない。
これまで趣味とか特技とか聞かれて困ってたのに加えて、専門とか専攻とかいうのまで、聞かれて困るようになってしまった。
というか卒論をウェブサービス作ったよとかそんなかんじで書いたんならまあ情報系なのかもしれないんだけどそう名乗るだけの自信がないということなのかな。自信がないってそりゃあ勉強してないんだから当然なのだけど。


なので就職まではちょっとお勉強したいなと思っています。ほんとにするかどうかわかりませんが。したいなとは思っています。

だからなんだっていう話

こんな専門もよくわかんないし4年間大学通っててそんなんでいいのってかんじのすごいゆとりっぷりな気がするけど、それでも私はSFC好きだし、この大学でよかったと思うし、それなりにちゃんと大学生活送れたんじゃないかと思う。
そしてSFCには(他の大学でもそうなのかもしれないけど)、おもしろい人がたくさんいるなーと思う。ミサワ的な人もたくさんいるけど、まあそれを差し引いてもいいとこだなと思う。


第一志望で入った中高はあんまり好きになれなかったけど、SFCは楽しかったし、好きだし、高校生とかにも勧められるなー。


これで卒業できなかったら恥ずかしすぎるけど、たぶん大丈夫だと思うので公開します。