猫が吠える

我輩は猫である。名前はみずき。

RADWIMPSの『ANTI ANTI GENERATION』を聴いた

 「へっくしゅん」からRADWIMPSが好きで。
 ずっと聴いていた、わけじゃなく、ウツでなにもできなかった期間はなんの音楽も聴いていなかったんだけど、でもそこから復帰してからは聴けなかった期間のCDも買って、まあ結局最初の100枚限定の『もしも』以外は持ってて聴いてる(『もしも』も友人が持っているのを借りて音源としては持っている)。
 今回も新アルバムが出ることを知って当然予約して買って、ほんとうはCDショップで予約してフラゲ日に取りに行きたいんだけど今はちょっと赤ちゃんがいたりとかしてそれは難しいからAmazonで予約して、北海道の田舎だから発売から何日か経ってから手にして、そっからまた何日か経ってからiPhoneに取り込んで、さらに何日か経って結局発売から1週間半も経ってからようやくちゃんと聴いたってわけ。
 毎回ラジオ初オンエアをMDに録音しながら聴いてそれを再生しながら発売を待って待って、フラゲ日に横浜ジョイナス新星堂で受け取って帰ってすぐに聴いて、次は歌詞カード見ながら聴いて、MDに焼いて通学中に何度も何度も聴いていたころとは違ってしまってそんなふうには聴けていないことに寂しさを覚えるけど、でも今はあのころと違う自分の人生を行きているからそれはそれで良い、とも思うのだけど。そんなことを書くためにブログの編集画面を開いたわけじゃなくて。
 前述の通りRAD(を始め、いくつかの好きなアーティスト)のCDは毎回買って(以前ほど熱心ではないにせよ)聴いていて、そのたびに、もしかして私の好みでないふうに変化してしまっていたらどうしよう、と思いながら予約・購入しているのだけど、その心配が現実になったことは一度もなくすべて杞憂に終わっている。アルバムで言えば『RADWIMPS』から、彼らの音楽性みたいなものはだいぶ変化してきていると思うけど、それがずうっと私の好きな音楽だからすごいなあって思う。同年代だからなのかもしれないけど、でも彼らの人生と私の人生は当然違っているんだけど、でもこの人たちの音楽好きだなあって、毎回思っている。高校生の初々しい恋愛に熱を上げているときも、大学生(私はよーじろーの同大学、キャンパスの後輩だよ)になって人生に苦悩しているときも、社会に出てどうやって生きていけばいいのかわからなくなったときも、子を産んですこし自分というものについて冷静になったときも、ずっと彼らの音楽を聴いて興奮したり慰められたり、(おこがましくも)共感したりしてきた。すごいことだ。改めて、好きだなあ、と思った。
 「PAPARAZZI~*この物語はフィクションです~」、よーじろーの怒りが好きだなあと思い、「正解(18FES ver.)」、私にも18歳という時代があったこと、その頃苦悩していたことを思い出して胸が締め付けられる思いがし、それから、私が18の頃は自分なり・それなりだけど、文章をちゃんと書いていたんだよなあと今さらながら思い出し、いま母になっていたりエンジニアとして仕事をしていたりする自分がいることはもちろんわかっていながらも、私はなにをしていたのだっけ、これまでどうやって生きてきて、今後どうして生きていきたいのだろう、と思わされてしまった、つまり、人生のところどころで触れてきた、創作活動というやつを私はやりたかったんだよなあと思い知らされてしまった。結局中途半端にしかできないことはようくわかっているから気付かされたくなかったのだけど。こうやってブログを書いて気持を鎮めるくらいしか、いまの私にできることはない。だけどなあ。娘の同級生のお父さんは、お父さんになってもお芝居をやって生きているらしい。私もそうやって生きてたらもしかしたら今より幸せだったかもしれない。そりゃもちろんわかんないけど。これでよかったんだっけ、って。いや今日は、RADWIMPSが好きだなってことを書きたかっただけなんだ。すぐに人生について考えてしまうから良くない。人生についてそれほど考えずに生きていける健康な人間でありたかった。いや、RADWIMPSというバンドが好きだなって。それだけです。