猫が吠える

我輩は猫である。名前はみずき。

#1on1カンファレンス -「対話」を通じた「人の支援」を考える日- に参加した

1on1カンファレンス -「対話」を通じた「人の支援」を考える日- に参加しました。
www.conf.1on1meeting.org


 職場では、1on1というのはそれほど根付いていないのだけど(評価者が思い出したときにたまにやるぐらい。だれかにやろうよって言えばいつでもやれるけど、継続はしてない。)、私はこの夏あたりからリーダーとしてメンバーと1対1で面談したり、1対1でなくてもチームメンバー・社内メンバー・社外関係者と対話をしたりすることが増えてきた。「うまく対話できている」という感覚はなく、相手の意志や気持や機微をくみとれてないなあと思ったり、私の考えも伝えられてないなあと思ったりしていたところでこのカンファレンスを知り、申し込んだ。まわりの人たちと「うまく対話できる」状態に近付けるといいなあと思って。


 一日いろんなお話を聞いて気づいたのが、私は私の見ている世界だけでものごとの善し悪しを決めてかかっていたこと、それを周囲に押し付けようとしていたこと、周囲のひとたちの話をちゃんと聴けていなかったこと、それでは「うまく対話できる」状態にはなれないこと。「相手を変化させようとしても伝わらない」「まず自分がやってみてその姿を相手に見せる」「相手の話を聴く」というようなことを意識していたつもりだけどできていなかった、変化させようとばかりしてしまっている、しかも私に見えている世界だけをもとに、と気づかされた。なので、「ちゃんと相手に意識をむけて話を聴いているか」「自分や、自分のやりたいことばかりに意識が向いていないか」「自分に見えている世界だけでものごとを判断していないか」と、自分自身をつねに冷静に観察して認識する訓練をしよう、と思った。


 朝一、臨床心理士である重宗祥子先生。カウンセリングにおける対話についての講演と、主催の小澤さんをクライアント役としたカウンセリングのデモンストレーション。講演のなかで印象にのこったことを箇条書きで。

  • 自分の人生をより良くしたい・変わりたい人がカウンセリングを利用することも多々ある
  • カウンセリングは医療行為ではないので自費負担となることが多いが、それは自分で自分をささえるという意味で有意義なことでもある
  • 発される言葉だけでなくすべての感覚を動員して全身で話を聴く、自分というバイアスを理解する(離見の見)
  • こちらからアイディアを出したり押し付けたりするのではなく相手のなかにあるものを引き出すこと(これは教育というものも本来そういうものなのでは、と先生は言っていた)

 こういうお話を聞いたあとのカウンセリングデモ。”パフォーマンスが出なくて、上司に「ちょっと社内のカウンセリング行っておいで」といわれた若手社員”役の小澤さんを相手に重宗先生がカウンセリングする。講演で言われていた上記のような内容を体現していくあざやかさと、相手を安心させながらしんどさをすこしずつ言語化して問題をさがしていくやさしさにすごく感動した。
 さいご、参加者からの質問にこたえる時間で「オンラインでの対話のコツはあるか」というかんじの質問への回答のなかで「この1年で、オンラインでもできることがあるというのはよくわかってきた。オフラインで会えないからあれができないこれができないではなく、できることについてはできると発信していく必要がある」と話されていて、それがすごく嬉しかった。私はもう何年もフルリモートで個人事業主をやったり会社員をやったりしていて、それほど不自由を感じなかったし、そもそもひとと顔をあわせて話をするようなことが苦手でもあるのだけど、さいきんはリモートワークが浸透した反動のように「やっぱりオフラインじゃないとね」「オンラインでの会話やコラボレーションはやりづらい・できないよね」というようなコメントばかり聞いていて、オンラインって悪いことばかりじゃないんだけどな、と思っていたところだったので。オンライン・オフラインそれぞれ向き不向きがあるし、人によってどちらが得意かもいろいろだから、一律でどちらかが良い悪いじゃなくてそれぞれ合うものを取り入れたいよねと、1on1や対話の本筋とははなれるけど、思ったのでした。


 午後から、いろんな肩書・経歴の登壇者の方たちがそれぞれの立場・状況で1on1や対話に取り組んで得た体験や知識やノウハウなどを共有してくれた。1on1というものについて私はあまり経験もないし勉強しているわけでもなく、先人たちの得てきたものを分けてもらえるこういう場はほんとうにありがたい。以下のようなことを得た。

  • 「話を聴く」ばあい、自分ではなく相手にフォーカスすること。答えは相手のなかにある。
  • 相手の話を聞くのだけど、聞いているのは自分であり、自分がどう受け取ったのか(つまり自分自身)を理解しながら相手を理解し声をかけていく(「自分というバイアスを理解する」はなしだ)。これは、エンジニアでもあり産業カウンセラーでもある長谷川拓さんが発表のなかで”対話に参加することで自分自身を理解する”ことを体験するワークを提供してくれて、ものすごくむずかしい、ということがよく感じられた。
  • 「コミュニケーション」とは、たがいのできごと・考え・感情を交換すること(押し付けではない)
  • 話をするひとの安全(他人から心にブレーキをかけられない状態)を確保することが大事。そしてそのためには話を聞く側の安全も欠かせない。
  • うまくいかなかったことを書きだしておいてパターンを抽出すると、「馴染み」の問題ができてきて安心が醸成される


 最後は認知科学の教授である三宅芳雄先生による「わかるとは?」という講演。
 「綿1kgと鉄1kg、どちらが重いか?」、同じだ、と当然のように答えてしまうけど、それって正しい?「重い」という言葉を物理学が横取りしてしまったから同じだと思うのでは?と。ものごとをある側面から理解し理論を完成させても、それはその側面からの理解でしかなく、他の側面から見ればまた違う見えかたをするかもしれない。「わかる」ってなんだろう、ひとつの側面から見て「わかった」からって、なんなんだろう、という話だった(と、私はとらえた)。
 一日かけていろんな視点や立場からの1on1や対話についてのお話を聞いてきて、相手の話を聴くこと・自分というバイアスを知ること・そのうえで対話をすることについて考えさせられていたところで最後に「わかる」ってなに?、「わかる」ことなんてある?って話がされて、さらにいましめられた気持になった。たぶん先生は聴衆をいましめてやろうなんて思って話してはいなくて、ただご自身の世界の捉えかたのほんの一片を共有してみてくれただけなんだろうと思う、ご自身が「自分もまだわかっていないのだけど」という気持がある上で私たちに話をしてくれているのだというのが伝わってきて、「わかる」ことを追求しつづけてもまだ世界はわからないんだ、私が私から見える世界だけで話をしようとか、ましてや相手や周囲を変えようだとか、なんて傲慢なことをしてたんだ、と感じたクロージングキーノートでした。
 三宅先生のお話がおもしろかったのもあるけど、カンファレンス全体として「対話」というテーマが一貫していて、いろんなバックグラウンドや経験から対話について話してくれる方たちがいて、最後に「わかるとは?」を持ってくるこの構成、超すごい。一晩かけて咀嚼しないと理解できなかったけど、強烈に「対話」というものを考えさせられた。超よかった。