猫が吠える

我輩は猫である。名前はみずき。

第二子を産んで1か月(常位胎盤早期剥離で早産の記録)

 9月22日に、第二子となる息子を産みました。
 今日10月23日、1か月検診で一段落ついたので振り返りを。

時系列

出産前日まで

前提
 計画無痛分娩の予定。
 一人目を38週3日で産んでいるので今回も予定日より早くなりそうなこと、お腹の子が大きいことから、赤ちゃんの大きさを見ながらだけど、正産期である37週に入ってすぐあたりに計画分娩しましょうという方針だった。
 個人事業主として仕事をもらっていたので産前6週の決まりは適用されず、36週後半まで仕事を入れていた。だから産前休暇が1週間しかないなあ、と思っていて、先生にそれを言うと、36週なら急に破水して産まれてしまったりするから調整できるならしておいたほうがよいと言われる。なので、契約は残っていたけどやるべき仕事は片付けてしまっていた。


9月18日(火) 34週4日
 妊婦検診。エコーを見ながら、もう推定体重2,700gぐらいでとてもムチムチしていると言われる。
 内診があったので、今日明日は出血があるかもと言われていた。

18日(火)~20日(木) 34週5日~35週0日
 茶色い少量の出血が続く。お腹も、うっすらとした生理痛のような、下してるときのような痛みがある。
 前回の妊娠も含めてそんな経験はなかったのですこし不安な気持になりつつも、内診による出血だろう、前駆陣痛かな、と思って過ごした。

21日(金) 35週1日
 昼ごろ、仕事中、茶色いドロッとした血が出ていた。茶色なら内診による出血の残りかなとも思いながら、すこし心配なので一応病院へ電話。やはり茶色なら古い血だから心配ないと言われ、普通に仕事をし、家事をした。産後のための作り置きとして唐揚げを揚げたり、仕事でのちょっとした発表のようなものを待機したり、取引先とのリモート会議で出産・退職のあいさつをしたりした。
 21~22時ごろ、娘を寝かしつけて一緒に寝ようと思ったが腹痛。波があるように感じたのでもしやと思って陣痛アプリをダウンロードして記録してみたら、やはり2~3分おきに波がある、と思ったら10分以上開く。眠れないので1階のリビングに降りて夫に腹痛を報告。トイレに行くと、ちょっと下し気味。その後痛みは収まったので、下す痛みか前駆陣痛だったんだなあと思って就寝。

出産日

22日(土) 35週2日
 2:30、尿意で目覚める。腹痛もあるような気がする。けど寝たいから眠ろうと試みる。でも痛みだか尿意だかわからないものに押されて眠れずトイレに行くと鮮血が出ている。それでも寝ようと思って布団に戻るが、やっぱりお腹が痛い。このときはアプリで測らなかったが2~3分おきに痛い。「妊娠後期 腹痛 出血」とかでググる。前駆陣痛だとか切迫早産だとか、常位胎盤早期剥離だとかが出てくる。うーんそんな急を要するような症状ではない、けど陣痛だったら困る、と思って階下に降りて病院へ電話。助産師さんに「35週かー困ったねえ、入院準備して来て」と言われて、痛みと戦いながら2階に上がり夫を起こす。
 やらなきゃやらなきゃと思って、入院準備してなかったんですよね。慌てて大きいボストンバッグに着替えやらなんやら詰め込んだ(持ち物リストはdropbox paperに作っていて、持って行くカバンも着替えも目星をつけていたからまだ良かった)。荷物を詰めている最中も何度か痛みが来て動けなくなった。
 3:20、寝ていた娘も車に乗せて、夫に運転してもらって病院へ向かう。
 3:40、病院着、出迎えてくれた先生に「赤ちゃん動いてる?」と聞かれる。いつも通り動いていたけど、動いているかどうか聞かれるような緊急事態なんだろうかと驚く。
 内診。子宮口4.5センチ。痛みは陣痛とのこと。1日もたせるのも難しいから、早産だけどこのまま産みましょう、35週ならギリギリここで産めます(大きい病院に搬送しなくて済む)とのこと。
 経腹エコー。胎盤ははがれてなさそう、赤ちゃんの心臓も元気に動いている、大きさも2,500gはあるかな、とのこと。心臓が動いていることに一安心しつつ、2,500か、このあいだ見た2,700はないんだな、低体重児で産んでしまうかもしれない、と思う。先生に、破水しなかったからここまでもったけど破水してたら生まれてたね、と言われる。前回もお産の進みが早かったけど、今回も早いのか。
 4:10、休み休み2階のLDRに移動して体重測定、着替え、分娩台に乗ってNST装着。一人目以来のNSTに、懐かしいなあ、と言ったら、外来でやる前に陣痛来ちゃったもんねと助産師さんに言われる。ああ確かに、ほんとは妊婦検診でやるはずだったんだ。痛みで吐き気がするが胃が空っぽで吐くものがない。
 2分間隔の陣痛。起きてから水分とってなくて、針も太くて点滴のルートがなかなか取れない。先生自ら、手の甲にブスッと刺してくれた。助産師さん「さすが~」、先生「迷わない!」という会話。太い針を抜いたり刺したりは痛かったけど、陣痛の痛みが紛れてよかった。
 4:30、無痛分娩予定だったので、背中から麻酔。麻酔を打つための麻酔を入れて、本番の麻酔を背中2箇所に入れる。子宮の痛みを取るための麻酔と、お股の痛みを取るための麻酔。お尻に鈍痛を感じてたら、先生にお尻痛い?と聞かれる。麻酔を入れると神経が圧迫されてお尻が痛むらしい。麻酔完了、内診。子宮口7.5センチ。履いたままだった靴下を先生が脱がせてくれる。すみません……。
 4:43、人工破膜。このときにはだいぶ麻酔が効いて余裕が出てきていたので、羊水見たい、って言って見せてもらった。だいぶ血の混じった羊水だった。内診。子宮口9センチ。助産師さんのグリグリで子宮口全開(10センチ)になる。グリグリはまったく痛くない。麻酔の力はすごい。陣痛の波が来ると多少の痛みを感じる。力入れてみようか、と言われて、え、もういきんでいいんですか、と聞く。お尻への圧力とかいきみたい感覚、一人目のときに感じた子宮が子を押し出そうとする感覚はなかった。娘は、出産中に飲むために持ってきたペットボトルストローに興味津々で、私のお茶を何度か奪われた。そんなやりとりをできるぐらい、痛みがなくて、余裕があった。
 4:45、陣痛の波が来たのでいきむ。言われる通りに強くいきんで、軽くいきんで、頭が出た。へその緒が首に二重巻き。へその緒切ったりなんだりしてくれて、無事誕生。男の子。ドゥルンと身体が出た瞬間、お腹がものすごく軽くラクになった。先生「早すぎ!」と。そして「2,700ぐらいありそうだね、こないだの大きかったエコーが当たってるかもね」と。助産師さん、看護師さん、小児科の先生(産婦人科の先生の奥様)が見てくれて問題なさそうなのでそのままカンガルーケア。あったかかった。ちっちゃい。このとき助産師さんが、家族4人の写真を撮ってくれた。それを退院時写真立てに入れてプレゼントしてくれたのがとても嬉しかった。4人家族での最初の写真だ。すぐに別室に連れていかれて体調の確認や身長体重測定など。2,785g, 48.0cmの男の子。先生はパッと見で体重がわかるのか、すごい。
 4:50、私は胎盤を出されて休憩。胎盤にだいぶ血のかたまりがついていて、先生に「胎盤はがれかけてたかもね、じゃないとこんな早く進まない」と言われる。え、それって常位胎盤早期剥離ということ、と動揺する。でもともかく赤ちゃんも私も無事だった。早産なので赤ちゃんになにかあったら大きい病院に搬送しますと言われていたけど、その必要もなかった。1時間ぐらいかなあ、しばらくして、赤ちゃんがまた私のところに来た。抱いて、おっぱいを吸わせる。娘は産まれてきたものを覗き込む。お母さんのお腹にいた赤ちゃんだよ、出てきたね、あなたの弟だよと伝える。
 その後、談笑しながら過ごす。
 5:30、LDRの隣の部屋に置いた私のリュックから、syrup16gの「Honolulu★Rock」が流れてくる。娘のお弁当を作るつもりでかけていた目覚ましだ。お恥ずかしい。
 産後2時間くらいで、トイレに行きましょうと言われる。怖々だったけど、ふつうにおしっこが出た。歩いてトイレに行き、歩いて戻った。病室は個室か大部屋か、和室か洋室かの希望を聞かれた。一人目のとき個室で孤独だったから大部屋を選んだ。洋室にしようと思っていたけど、洋室にはその日退院していく一人しか入院しておらず、和室には前日に出産したばかりのお母さんが入院していると聞いて和室にした。結局病室内でほとんど会話はしなかったのだけど。
 歩いて病室に移動した。普通に歩けた。一人目の産後はもっと骨盤がガタガタで、切開・縫合したお股が痛くて歩きづらかったのだけど、今回は普通に歩ける。無痛だったし、子も小さかったし、お産も速くて、お股を切開することも裂けることもなかったから身体への負担が軽かったんだなあ。赤ちゃんは新生児室かどこかにいた。
 明け方の病室で入院生活の説明とかを聞いて、眠そうな娘と夫には帰ってもらうことにした。もう空は明るかった。お腹がすいた。朝食から出るらしいから、それまで横になって休むことにした。

常位胎盤早期剥離

 その後先生から話を聞くと、やっぱり常位胎盤早期剥離だったそう。この病院では年に2~3件あるらしい。病名は知っていたし母親学級でも話は聞いていたけど、まさか自分がなるとは思ってもいなかった。早剥は「波のない強い痛み、お腹が板のように固くなる」という症状と記憶していた。私の場合は腹痛といっても波のある痛みだったし、お腹も「板状硬」というほど固くなくただ張っている程度、赤ちゃんもいつも通り動いていたから、生み終えるまで早剥だなんて思わなかった。先生は、深夜の電話の時点で早剥だったら嫌だな、と思ってたらしい。だから赤ちゃん動いてる?って聞かれたし、エコーでも胎盤見てくれていたんだな。そして、私が電話のあとなかなか来ないから、トラブルがあったんじゃないかと心配しながら待ってくれていたらしい。入院準備できていなかっただけです、深夜に起こして呼び出したのに待たせて申し訳ない……。
 病院の談話室に漫画『コウノドリ』があったから早剥の回を読んだから、胎児の死亡率30~50%、母体死亡率も数字は忘れてしまったけど高い数字で怖くなった。ネットで調べると、早剥で赤ちゃんを亡くしてしまったり脳性麻痺が残ったりしている体験談がたくさん出てくる。今回私はおそらく臍の緒から離れた箇所が、一部分だけ、ゆっくりと剥れただけだったから、そして経産婦で子宮口の開き、お産の進みが速かったから助かったけれど、なにか間違っていたら赤ちゃんも私も危なかったかもしれない。運が良くて、先生が早剥の可能性を考えて対処してくれて(切迫早産として張りをおさえたりせず出産の方針に決めてくれて)、ほんとうに助かった。


 そして、早剥は再発する病気らしい。早剥の既往がある人の次回妊娠時の早剥発症確立は、既往のない人の10倍。元々そんなに高い確率で起こる病気ではないけれど(全分娩の0.5~1%ほど)、その10倍というのはけっこうな確率だ。そしてそのうちの低くない割合の赤ちゃんが亡くなり、障害を負っている。原因がわからない病気だから、こうすれば安心だという方法もないけれど、次回があったら気をつけよう。子どもは3人欲しいと思っていたけれど、その子や自分の命を危険にさらすぐらいならもう次はなくていいんじゃないかと思ったりもする。でも、先生には軽度だったからそんなに気にするものでもないと言ってもらったから大丈夫かな。日頃死にたい死にたいと思ってても怖いものは怖いね。
 今となってはわからないことだけど、もしかしたら陣痛が来る前の数日の腹痛や出血は危険を知らせるものだったのかもしれない。妊娠している自分自身が違和感を覚えたら、プロの助産師さんとかに大丈夫と言われても診察してもらうべきだったのかもしれない。次回があれば、リスクがあるということを頭に置いて行動しようと思う。早産も繰り返しやすいようだし、早剥を繰り返す場合前回より2~3週早く起きることが多いようだから、30週ぐらいから管理入院させてほしい。普段楽観的な私だけど、子を失う可能性があることを考えると、それぐらい怖くなる。

その後

 私は、早剥という状態ではあったもののお産自体は安産で、産後の回復も問題なく、助産師さんたちに「元気ですね」と言われながら入院生活を送った。
 息子はアプガースコア9点- 9点で健康そのもの、一時的に新生児低血糖にはなったもののミルクを飲んで回復し、呼吸も栄養状態も問題なかった。
 二人とも、普通の経産婦さん母子と同じ4日で退院。しばらく息子の体重の増えが悪かったけどその後順調に増えだし、新生児訪問に来てくれた助産師さんにも4日で退院できたことや順調な体重の伸びを驚かれ、今日の1か月検診もなにも問題なくパスしました。

反省点、感想

  • 入院準備は早めに

 病院からも、30週までには入院準備しましょうと言われていたのにしていなかった。今回は間に合ってよかったけど、焦った。出産自体の進みも速い体質のようだし、とくに早剥というのは一刻を争う事態なので。

  • 仕事は余裕をもったスケジュールに

 やるべき仕事は終わらせていたとはいえ、契約に穴を開けることになってしまった。個人だけど、雇用関係にある場合の決まりに合わせて予定日6週前から休みにしておけばよかった。それでもさらに早産になる可能性ももちろんあるのだけど。

  • その他のことも早めに

 髪切りたいのを我慢してギリギリまで粘って35週に予約をしたら、その前に産んでしまった。我慢せず切っておけばよかった。
 焼肉もラーメンを行きそこない、産後のための食事の作り置きも中途半端だった。どこまでの早産を想定すれば安全なのかはわからないけど、次回があればそのときは今回の3週間前である32週には、諸々を整えておきたい。
 それから今回は36週の日曜日に上の娘の保育園の運動会があり、それを見てから産めるはずだったのが行けなくなって悲しかった。母子とも退院はできていたけれど早産児を連れて行くわけにもいかず、突然だったから母などに手伝いに来てもらう手配もできず、私と新生児は留守番することにした。娘に申し訳ないことをした。

  • こんな早剥もあるんだ

 上記のとおり、持続的な痛みでも危機感を覚えるような痛みでもなく、板のように固いお腹の張りでもなく、知識として知っていた状況とは違っていた。けどおそらくあのとき病院に行かずにいたらもっと強い痛み、悪い状況になっていたんだろうなあ。やっぱり、違和感があったらすぐ受診するのか大事だ。そういえば30週手前ごろまでは前置胎盤と言われていて、その後上がってきたのだけど、胎盤トラブルに見舞われる妊娠・出産だったなあ。
 妊娠出産はなにがあるかわからない、母子とも命がけのイベントだということを、わかっていたつもりだけど改めて思い知らされたし、助けてくれた先生、助産師さん、看護師さんたちにほんとうに感謝の気持でいっぱい、そして、生きていることをありがたく思う自分自身への驚きを感じています。
 二人目育児の難しさとか、家庭生活の困難とか、出産や産後の生活に関して書きたいことはまだたくさんあるけど、今日はひとまずここまでで筆を置く。また近いうちに書きます。