猫が吠える

我輩は猫である。名前はみずき。

娘が低月齢期を卒業した

 2月に第一子である女児を出産して、低月齢といわれる時期(3か月まで)を卒業した。
 いろんな出来事や感情を書き残しておこうと思っているうちに日常に追われて4か月も経ってしまったけれど、今のうちに書いておきたい。


 我が子はほんとうにかわいい。
 まさに「目に入れても痛くない」ぐらい。

小さな生き物がやってきた

 前回のブログにも書いたけど、生まれたときは、想像していたより大きくて、色白で、かわいらしい、人間らしいと思った。
  でも、赤ちゃんなんて周りにいなかったから、どう扱っていいのかわからず、触れるのもこわかった。壊れてしまいそうで。入院中は、授乳やオムツ替えのほかはほとんどさわらなかった。コットに寝かせていた。今思えばもったいないことをした。やっぱり人間というより生物であり、生命のかたまりだった。
 退院してきてからは、この子を守り育ててやれるのは私と夫しかいないのだという当たり前でとても大きな事実にようやく気付いた。目の前の生物は、寝て、泣いて、飲んで、排泄するだけ。ただただ「生きて」いるだけだった。私はその生物を生かすために、昼夜問わず抱き、あやし、授乳し、オムツを替え、その合間に自分の生活や家族のための家事をする生活になった。
 辛かった。
 産後のホルモンの急激な変化と身体的ダメージ、昼も夜もない生活と、なぜ泣いているのかわからない小さな生き物によって私の精神状態はグチャグチャだった。わけもわからず涙が出てきたり、夫にあたったりした。それでも夫は文句も言わず助けてくれたので感謝している。
 ただ、そんな辛いなかでもこの小さな生き物はすべてがかわいくて、愛しくて、大切だった。「愛してる」や「好き」とは違う「愛しい」という感情を、このころ人生で初めて味わったように思う。

生物から人間へ

 おそらくこの子は育てやすい子なのだろうと思う。入院中からあまり泣かず、よく寝る子だった。それでも、母乳をあげてもあげてもすぐにまた求めてきたり、なにをしても泣きつづけたり、寝なかったりして、ゆっくりお風呂に入るとか夫婦そろって食事をするとか、そんなことはずっとできなかった。赤ちゃんがどうして、何を求めて泣いているのかわからないのが辛かった。こんな生活がいったいいつまで続くのだろうと途方に暮れた。
 1か月検診が終わったあと、夫に娘を見ていてもらって図書館に行って育児書を何冊か借りてきた。産後初めての自分のための時間だった。すこしでも暇があったら寝たいところだったけど、それ以上に、この秩序のない生活をどうにかしないと心も身体ももたないと思って、空いた時間を見つけては本を読んだ。

トレイシー・ホッグの赤ちゃん語がわかる子育て大全

トレイシー・ホッグの赤ちゃん語がわかる子育て大全

  • 作者: トレイシーホッグ,メリンダブラウ,Tracy Hogg,Melinda Blau,槇朝子
  • 出版社/メーカー: ブックマン社
  • 発売日: 2006/11/25
  • メディア: 大型本
  • 購入: 3人 クリック: 4回
  • この商品を含むブログ (1件) を見る
 たまたま図書館にあったから読んだ『トレイシー・ホッグの赤ちゃん語がわかる子育て大全』にはずいぶん助けられて、その後自分でも購入した。ここで紹介されている"EASY"という、赤ちゃんとの生活のリズム作りのやりかたは私と娘にとても合っていたので取り入れて良かった。生活にリズムができたこと、赤ちゃんの様子をしっかり観察するようになったこと、寝る練習をしてもらったことで、それまでめちゃくちゃだった生活がすこしずつ整ってきた。このころから、だんだんと子育てが楽しく思えてきた。娘が愛しくて仕方がなかった。私のもとに生まれてきてくれて本当に嬉しいと思った。
 それまでただ「生きて」いるだけだった小さな生き物が、よく見るとちゃんと意思表示をしていて、感情があって、欲求を持っていることに気付き、急に人間らしく思えるようになった。生後40日を過ぎると、それまでの新生児微笑ではない、社会的な笑顔が出てきた。そうしてコミュニケーションが取れるようになってくると、なかなかうまいチームワークで生きていけているんじゃないかという自信が持てるようになってきた。

母になる

 最初は細かった娘がだんだんとムチムチになり、発音できる音が増え、昼間起きていられる時間が伸びてきた。
 私の辛いことも変わってきて、身体的なしんどさよりも、社会的な問題がふくらんできた。密室育児で話し相手がいないことが辛くなってきた。里帰りしなかったこともあり、平日は家に赤ちゃんと二人きり。産んだのがインフルエンザの流行っている時期だったから外出もあまり積極的にできず、大人と会話することが本当になかった。すこしずつ抱っこ紐やベビーカーで外出するようになると、スーパーのレジでほんの一言ことばを交わすだけのことがとても嬉しかった。2ちゃんねるの育児板にもたいへんお世話になりました。
 それから、子育てをするというのはつねに何にも優先して子どもの欲求に対処するということであり、寝ていてもお風呂に入っていても、洗濯物を干していてもペットの爬虫類たちの世話をしていても、娘が泣き出したら駆け付けないといけないということなのである。だから、通勤電車が辛いことも仕事が大変なことも知っているけど、外に出て仕事している夫がうらやましかった。通勤中は何にも邪魔されずにうたた寝したりニュースを読んだりできるし、仕事中は、多少の割り込みがあるにせよ自分の仕事をできる環境が、うらやましいを通り越してうらめしかった。これは4か月経った今でもそう思う。


 そういえば私は昔、当然のように専業主婦になる未来を思い描いていたのだった。結婚して子どもを産んだら仕事を辞め、2人ぐらいの子どもたちを家で育て、小学校なり中学校なりに上がってからパートや仕事を再開するのだと思っていた。私の母がそうだったから、私もそうするのだということに何の疑問も持たなかったし、そうしたかった。今の時代どうこうとか経済的にとかいうことは置いておいて、私にはそんな生活は向いていなかった。いくら娘がかわいいといっても、子どものためだけに自分の人生のうちの何年間かをすっかり捧げるということは、私にはできなさそうだ。外に出て働いて、自分でお金を稼いで、それとは別で、子どもや家族との時間を持ちたいと思う。
 なので今は、認可保育園に申し込んで待機しつつ、無認可保育園の公開保育に行ったりしているところ。
 いつから預けるか、どこに預けるか、私はいつから就活できるのか、どこで、どういう条件で働けるのか、考えるべきことがたくさんあって毎日時間が足りない。今の家に住みつづけるのか引っ越すのか、何年後に次の子を産めるのか、あと何人産むのか……、もう今年で28になるけど、この歳になっても人生はまったく定まっていない。


 たとえば私がいつもどおり一人で家で娘の世話をしながら家事に追われているときに夫が飲み会に行って、一人楽しそうに酔っぱらって連絡も忘れて深夜に帰ってくる姿を見ると、私はとても惨めな気持になった。娘とずっと一緒にいられることに幸せを感じながらも、私はお金を稼いでいなくて生活するにも何するにも夫が稼いできたお金を使わせてもらう立場、自由に飲み歩いたり、そうじゃなくてもちょっと遊んだりするようなお金も時間も自由もない、そんなことばっかり考えて、私には子どもを持つのはまだ早かったんじゃないかと、悩んでも仕方のないことで悩んだ。だからって取り消しなんてできないしできたとしてやろうとも思わないのだけど、これからどうにかもがいであがいてこの不自由さを打開するしかないのだけど。これを「不自由」と言ってしまう母親で申し訳ないとも思うけど、仕方ない、私は家族や子どもにすべてを捧げることで幸せを感じるタイプの人間ではないのだ。そうじゃないやりかたで娘に愛情をそそいで、家族をしっかり家族として構築していきたいと思う。