猫が吠える

我輩は猫である。名前はみずき。

2011年春西日本一人旅の記録、0日目から1日目

はじめに

2008年の夏に一人で北海道、東北、北関東を旅して、じゃあ今度は西日本にしようということで学生最後の長期休みに18きっぷを使って西日本を一人旅する。
3/14まではアルバイトの予定が入っていて、だから15日から2週間ぐらいの日程にしようと思っていたが、23日に大学の卒業式があることを思い出して、24日から30日という短い日程になってしまった(直前に大震災があったせいで結局卒業式は中止になってしまい、それなら当初考えていたとおり2週間ぐらい旅に出ていればよかったのだけど……)。
この旅行について、文章で記録を残しておきたいと思って、このためにネットブックを購入して、電車での移動中やホテルで文章を書く。

3/24 0日目、出発の日

前日に、卒業式はなくなってしまったけど学校に行き、夜は学校の友人(というか、友人を介して集まった人たち)と一緒にご飯を食べに行ったので、まったく準備をしていなかった。夕方起きて、急いで準備をして、ムーンライトに乗るために横浜に向かった。
横浜駅の6番線から23:36横浜発のムーンライトながらに乗って、10分もしないうちに検札が来た。今回は18きっぷを利用して移動するので、日付が変わって最初の停車駅である小田原までの切符を購入して(950円もした)、その小田原までの切符と18きっぷ、指定席券を車掌さんに見せ、18きっぷには25日の分のスタンプを押してもらう。この時期ムーンライトで移動する人は18きっぷを使う人が多いので、車掌さんも慣れている。どこかの駅から18きっぷを使って電車に乗るとその駅名の入ったスタンプを押してもらうのだが、今回は「東京車掌区」というスタンプだった。
隣には、やっぱり大学生ぐらいの男の子が、私が座る前から座っていた。だけど横浜から切符を見せていたから、横浜から乗ったのだろう。小島よしおに似ているので小島さんと呼ぶことにする。小島さんはリュックひとつしか持っていなくて、旅慣れているかんじ。検札が終わると少し文庫本を開いていたけど、すぐに椅子の背を倒して寝てしまった。しばらくしたらいびきをかき始めて、すぐにやんだ。
今回の旅は、いろんなもののバッテリーを気にしながらの旅。リチウム電池と携帯をつなぐケーブルをなくしてしまったので、どこかで買わないといけないなあ。­­
ときどき、貨物列車と並走する。

3/25 1日目、夜行列車と京都と和歌山と神戸

今夜は月が綺麗だ­。下弦の月がすこし膨らんだ、大きな月。月を眺めていたら小田原に着いた。小田原からは、横浜から乗った人数よりも多く人が乗ってきた。ここからは沼津、静岡、名古屋、岐阜、終点の大垣に止まるが、沼津から先はしばらく車内放送をしないらしい。消灯はしないのかもしれない。明るい。月も明るい。私はいちばん左の窓側の列に座っているので、月がよく見える。少し寒いけど、景色が見えなくなってしまうのは残念なのでカーテンは開けておく。トイレに行きたいけど、小島さんがぐっすり眠っているようなので起こせないなあ。そういえば同じ中高の友人で、小田原から通っていた人がいたなあ。横浜の中華街の近くにある学校だったから、この距離を毎日往復するのはほんとうに大変だっただろうなあ。
静岡から、私と小島さんの前におじさんが二人乗ってきた。二人は知り合いではなかったけれど、少し話をしていた。二人とも、甲子園に高校野球を見に行くらしい。私の前のおじさんが、背もたれを倒していいかと大きな声で訊いてきた。そういえば私の席は、レバーを上げなくても背もたれが倒れたし、体重をかけていないとすぐに戻ってきた。前のおじさんたちの会話を聞きながらうとうとしていたら、小島さんの前の人は寝てしまった。私の前のおじさんは歌の断片を歌詞つきでうたいだした。その歌声で目が覚めてすぐ、浜松駅に到着。浜松は20分ほど停車する駅なのでホームに出てみたら、予想通りみんな電車の写真を撮っていた。私も撮った。みんなが一眼レフとかのいいカメラで、ときどき三脚まで立てて撮っている中、私はトイデジカメで撮った。トイデジも、久しぶりに出してきたから電池がない。
名古屋の手前で何度かしばらく停車した。小島さんとその後ろの人が知り合いだったことが発覚。名古屋に停車するときにほっぺをたたいて起こしていた。このあたりで黒かった空が青くなってくる。小島さんの後ろの人は名古屋で降りたけど、小島さんは降りず、大垣まで乗っていた。名古屋を過ぎて、小島さんがおにぎりを食べだした。いいなあ、おなかすいた。
大垣に着くと、次の電車で座るためにみんな走る。私は端から2番目の車両だったので座るのは諦めて、歩いた。まずは京都に向かう。
関が原と柏原のあいだで、電車の窓枠と山の稜線のあいだに朝日。雪の残った山が美しい。うちの近くにはこんなに高い山はない。このあたりまでは、移動の他にすることがないので事細かに記録をとっていたけど、ここから先は歩いたり席を取ったり地図を見たり乗り換えに気を遣ったりと忙しいので、記録は記憶に頼るしかない。
米原で快速に乗り換える。また席取り戦争が勃発する。私はこの前の電車で座っていなかったからすぐに降りられて、快速の席取り戦争に勝利した。だけどボックス席の向かいに座っていたカップルが大きいキャリーバッグを足元に置いていて窮屈。私は網棚に上げたのに!席取り戦争においてはマナーとか整列とかいうものはあまり存在せず、図々しくて体裁とかを気にしない人が強い。ちゃんと並んでいる人がいても、おじさんが割り込んでくる。そこまでして座りたいなら次の電車を待てばいいのに。
だんだん通勤や通学の人たちも電車に乗ってくる。長期休み期間になるたびこうしてムーンライトからの乗客がなだれ込んできて自分たちの電車を占領されているんだろうなあ、大変だなあ、と思う。京都で降りた。このあたりでもまだムーンライトから乗ってきた人たちはかなり電車に残っていた。みんなどこまで行くんだろう。


京都の駅のトイレで化粧をして、キャリーバッグをコインロッカーに預けて、散歩した。駅のどちら側に出ればいいのかも、どのあたりを歩けばいいのかもわからなくて、勘に任せて歩いた。京都タワーの前を通って、東本願寺を外から眺めて、まっすぐ歩いて、まっすぐ引き返して、駅前のバスの案内所に併設されたパン屋さんでサンドイッチを食べた。京都らしくない。
私は「その土地らしい場所・もの」を見つけるのが下手なのだが、それはあちこち歩いていれば身につく能力なのか、下調べが大切なのか、先天的にわかる人にはわかるものなのか、どういうものなんだろう。
これで京都観光はおしまい。また電車に乗って、今度は和歌山に向かう。和歌山には祖父母がいる。祖父母に卒業の報告をするのが今回の旅の目的のひとつでもある。ムーンライトでも予想通りほとんど眠れなかったし、大垣から京都のあいだでも眠れず、和歌山までの移動のあいだはずっと寝ていた。和歌山駅から和歌山市駅までの電車が少なくて、少し迷った。祖父母の家の最寄り駅まで祖父が迎えにきてくれていて、歩いて祖父母宅に向かう。その日のうちに神戸まで向かうため2時間ぐらいしかいられないと伝えてあったので、すぐにお昼を食べながら、話をした。食べ終わって、私が小さかった頃や両親が結婚したときの写真を見た。小さい頃の私はものすごくかわいかった。私の成人式の写真もあったが、いつの間にかかわいくなくなっていた。


慌しく祖父母宅を出発し、神戸へ。この日の宿は三ノ宮駅から少し歩いたところにあるカプセルホテル。女性が泊まれるカプセルホテルは少ない。いつもネットで宿を探すとき、安い順に並べて探すと男性専用カプセルホテルの情報が上位に出てきて困る。ここは女性専用フロアがあって、入り放題の温泉も、パウダールームも含めてその階は女性しか入れない。案内してくれる従業員も女性。こういう女性専用フロアのあるカプセルホテルがもっと増えればいいのに。
ホテルに着いてしまうと眠いし疲れて夕食を食べに行くのも面倒になってしまったが、少し休んで出掛けた。海のほうに向かえば何かあるだろうと思い、三ノ宮駅の逆側にある海、というか元町のほうに向かって歩いた。しばらく歩くと中華街がある。ほとんどのお店はもう閉まってしまっていたが、空いていたお店のメニューを眺めているとお店のおじさんが「まだ間に合いますよ」と声を掛けてくれたので入った。中華料理。中華粥があったので、海鮮粥を注文した。お粥とお酒という組み合わせにすこし違和感を覚えたが、金柑酒も他のんだ。ロックでお願いしたら、ジョッキにいっぱいの氷と金柑酒が出てきて驚いた。小籠包をサービスしてくれた。お粥も小籠包もお酒もおいしかった。すっかり満腹になってお店を出て、少しだけ海のほうを散歩して、ホテルに戻った。
今回は温泉入り放題のプランだったので、少し休んでから温泉に入った。サウナや半身浴や泡風呂やいろんなお風呂があった。気持ちよかった。朝早く起きられたら朝風呂しようと決めて、自分のカプセルに戻る。カプセルの中にはコンセントがなくて、パウダールームにいくつか、携帯電話充電用のコンセントがあるだけだった。パソコンの充電は諦めて、温泉に入っているあいだに携帯電話やポケットワイファイとリチウム電池は充電した。不安だったけど、なくしていた携帯充電用ケーブルは電池式の充電器と一緒に京都駅で買ったし、なんとかなるだろう。翌朝の目覚ましを7時半から8時にセットして、7時半に起きたらしっかり朝風呂、8時だったら軽めに朝風呂することにしようと決めて就寝。長かった1日目はここまで。